北海道株式会社のケース(8)vol.066

社長は、中学校卒業後最初の3年間勤めた商社でずいぶんつらい目にあったと【法人】は言った。ミスをするたびに罵倒されるというのもそのひとつだった。
彼を引き取ってくれた北海道社の社長は、「一つひとつの仕事が完璧」と驚かされ、その仕事ぶりの積み重ねがあったからこそ、夫亡き後の北海道社を引き継いだ妻は、彼に会社を譲った。

社会人としてのすべてが初めて(つまり素人)だった彼が、たった3年の間に、次の会社で「完璧」と評される仕事ぶりを見せるほどの華麗なる転身を遂げた成長過程を示す実績データ

(ノートか!)

「自分は出来が悪い」と自覚していた彼は、聞いた話を要領よくまとめる習慣を身に着けていた。彼の机の引き出しには、入社後すぐに、作業要領をまとめたノートが数冊束ねられ、何度も改訂されていた。

【法人】はそう話していたと思い出し、あなたはノートの記録情報を画面表示するよう要求した。

(これはすごい)
日常使われる言葉の意味、取引先やその担当者の特徴に始まり、段取りの具体的「動作」やタイムスケジュール、そしてコストまで、図解や切り貼りで克明に記録されている。

特に目を引いたのが、その作業をした時の気持ちの動きまでが簡単明瞭に記されていて、初回の戸惑いと次回以降のギャップを埋めたポイントがいくつも書かれている。知識、アイテム、日時、天候、場所、言葉づかいと話す順序、道具の置き場所と向きなど、初心者の手引きとしてこれ以上の「マニュアル」を、あなたは見たことがない。
(初めてでも、シナリオ通りになぞるだけで『プロフェッショナル』を演じることができる)
ただの記録情報なら、目から入って頭で思考して、できる範囲で無理矢理記憶する。だから腹に落ちず、忘れてしまいやすい。しかし、情景と気持ちが記述されている『物語』は、自分をその中の登場人物として置き換えて、感情を伴ったストーリーを疑似体験できる。

「聞いた話」と「自分の実体験」の違いは比べるまでもない。社長が少年時代から無意識に実践しているこの方法は、社員を育てるための優れた資産になっていた。

(他人に、ストーリーの疑似体験をさせるために作っていたノートではないはずだが)
しかし、時とともにそれは充実してきていて、後半からはロールプレイで実際のセリフまで再現されている箇所が表れてきた。社員が増え、様々なタイプの人間に対応するため、より臨場感を出しつつ、ポイントになる点は細部まで表現したほうが効果的と判断したためだろう。
ついに、ロールプレイのシナリオだけでつづられたノートが生まれ、すでに何冊も存在していた。

あなたは今さらながら、さっき【法人】が言った「社長はかなり優秀」の本当の意味が理解できた。
同時に、『北海道株式会社の強み』も理解した。
シナリオを読むとよくわかる。
正確に言えば、シナリオを伝票や勤怠記録と併記させながら読むとわかる。
ストーリーの進行が冗長になる部分の動きで、ずいぶん無駄なコストが発生している。そこが改善ポイントだとわかる。改善の方法は、他の仕事の経験値が増えていくにつれ、見つけるまでの速度がアップする。

あなたは、特定の得意先との取引データを、第1回取引から数回分並べたリストをいくつか作った。
次に、同種類の依頼内容について、得意先は特定せずに、初回取引から数回分並べた取引データのリストを作ってみた。
(とんでもない実力だ)
いずれのリストも、初回の工数、初回の粗利と2回目以降のそれらとの差が歴然、というか懸絶している。
同じ相手、同じ種別の仕事なら、2回目から驚異の生産性を実現しているのだ。
また、リスト化した中に、2回目以降の実績が初回と変わらない取引もあるが、そういう場合は大抵3度目がない。取り組む相手として質の良くない仕事に対する手離れが実に良い。これにも驚かされた。

同じ失敗を2度繰り返さない、というだけでなく、自らの経験を次の行動に活かすのが格別に上手なのだ。
いわゆる「レバレッジを利かせる」ことに長けている。
最初に勤めた会社での、社会人としての生い立ちが、次の会社で活かせたのだ。

(原価を細かく算出するのも、同じことだろう)
一つひとつの事柄を取り上げて、愚直なまでに計算し、コスト感覚を体に叩き込む。
パイプ椅子1脚のレンタル料金を、単なる「数字」と捉えると、改善手段はコストダウンに限定されてしまうが、「売上に反映されるまでのプロセス」として捉えることができれば、そのプロセスの改善には多角的に着手できる。そういったことを繰り返してきているのだ。

あなたは内心、胸をなでおろした。
『こうすれば、会計処理はもっと簡素化できますよ』なんて言っていたら恥をかくところだった。
やはりそれは、「てにをは」レベルだ。経営は作文ではないのだ。

社長は、『プロフェッショナル』を吹聴する大学生に憧れたが、彼は経営者としてすでに事業の現場に立っていた。観念論の通じる世界でないことを、理屈でなく肌で感じていた結果、彼なりの形で憧憬を顕現化した。
それがこのノートだ。
北海道株式会社の強み。

社員側からは一見、決められたことしかさせてもらえないような気になるかもしれない。
(『プロ』について語る大卒者が不満を持つのは、表面だけを見るからか)
気持ちはわからなくもないが、プロならこの環境において独創性を発揮する場を見出したらどうなのかという気がする。付加価値を持たせられる箇所はまだまだあると思う。マニュアルに仕上がっているものは、その通りに動くのが良いが、マニュアル化前のシナリオには冗長なところが散見されるし、まだ改善されていない部分もある。

(オヤ?)
シナリオのページを繰る(画面をスクロールする)あなたは思った。
芝居や文芸作品ではなく、業務マニュアルの一部になるシナリオなので、設定もセリフもト書きもすべてが最小限で簡潔に書かれている。だから気づきにくかったが、これはひとりの人間が書いているものではない。

あなたの前に表示されているのは、書かれた文字そのものではなく、データベース化された文字情報だから筆跡はわからないが、文体の感性が微妙に違っている。もしこれを生の画像として見ていたなら、気韻生動が違うとでもいうべきだろうか。
(一昨年に退職した社長の先輩か)
最初そう思ったが、やがてそれだけではないことに気づいた。少なくとももう一人いる。

「それは、さっき話した5年在籍の事務の女性です」
【法人】はそう教えてくれた。
「このシナリオは、ただ記録すればよいというものではないので、誰もが書けるものではありません。『綺麗に文章が書ける』というだけではマニュアルの形に落とすことができないので、今は社長とその女性しかシナリオ作りには携わっていません」
少し、あなたを見直したような目つきだ。北海道社とは縁もゆかりもないあなたが、初見のシナリオの冗長な箇所に気づき、それを行動記録(データベース)と突合して改善ポイントを見抜いた点に驚いたらしい。
が、画面を凝視するあなたはそれには気づかない。

(長い影響線、社長の手にもあったらいいな。それに、その女性の手にも・・)
そんなセンチな考えが、あなたの胸をかすめた。二人は年齢が近く、どちらも独身だ。
会ったこともない先代の社長夫妻が、あなたに語りかけている気がする。【法人】を通じて。

「頼んだぜ。俺とカミさんが作った神輿と、これから担いでくれる二人のこと」
と。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です