『技術者』じゃなく、『数寄者』
たとえば、小さいころからの数式好きが高じて数学者になる人と、専門家の道を選ばず、その特技を独自に応用して使いこなす人がいる。
後者は、数式を職業として扱わないので、功利性や義務感とは無関係。
その活かし方は、多彩なバリエーションに富む。
専門家には思いもよらない着眼点や活用方法も多く、何より日常生活に密着しているのが特徴だ。
学会発表のように、他人に認めさせるのが目的ではなく、「役に立つこと」に一点集中できるからだ。
限定されたターゲットに対しては、とにかく痒い所に手が届く。
『スゴ技』、『圧巻のスーパーテクニック』、『目から鱗の活用法』は
学界のレポートからではなく、むしろ活用現場から生まれることが多い。
しかし、発表の機会がないので、世間に知られることは多くない。
自分のスキルをそんな具合に表現することを【数寄(すき)】というらしい。
具体例としてこんな話がある。
私が高校生のころ、家にパソコンを持ってるヤツなんて、ほとんどゼロだった。
ちょうど、「信長の野望」が発売され始めたころのことだ。
私などにはどこで買えるのか見当もつかないゲーム用のフロッピーディスクを取り出し、PCに差し込んで別世界を展開させる不思議な光景は、今でも記憶に残っている。
学校の成績アップや小遣い稼ぎといった、誰もがすぐに思いつく成果のためには役立たない。
そんなことのために彼らは、ずいぶん高い障壁を越えていたはずだ。
そうして、ゲーム好き、機械好き、クリエイト好きな仲間たちに、この上ない価値をもたらしてくれた彼らは十分に【数寄】だったと思う。
我々に多大な影響をもたらした彼らはその後、情報処理系の専門学校へ進み、コンピュータ系(今では死語)会社へ就職した。
当時のIT技術者のほとんどは、この道を通って誕生したように思う。
高校卒業後の彼らが歩んだのはまさに王道で、これは、【数寄】とは言えない。
王道には、わかりやすい道標があり、セットで功利性を提供してくれる。
・どんなことに活かせて、現在どんな人がその分野で活躍しているか
・その分野の社会的ランクづけと、いくらぐらいの収入が見込めるか etc.
さらに
・勉強方法(書籍・DVD、セミナーなど)と資格試験制度
・出世に活かせるパフォーマンスの示し方 etc.
その結果、王道の10年戦士は、世間的に理解されやすい看板を背負って歩いている。
『世間的に理解されやすい』とは、その人に対する価値判断がしやすいということだ。
たとえば転職市場でいう
「この人を雇ったら、我が社にいくらぐらいのインパクトを生んでくれそうか」
といった値踏みなどは、その典型だろう。
会社が用意できる給与との対比で、価値判断ができる。
求職者側からすれば、どこをアピールすれば、都合よく値踏みしてくれるかの判断もしやすい。
逆に、不利な点があれば、どうカバーすればよいかの作戦も立てやすい。
王道を尊重した応募書類を作れば、採用担当者が、大量の応募者を選別する手間を省ける。
その時点から早速「役に立つ人材」と言えるだろう。
王道はそれでいい。
問題なのは【数寄者】の就職活動…
以下は、王道から外れたデータベースのユーザーが、非常識な概念、非常識な着眼、非常識な活用法で数々の企業経営をサポートするようになる物語だが、それにはまず、悲惨な失業状態をつぶさに眺めなくてはならない。
ああ、現代の前原巧山・・