青森県株式会社のケース(16)vol.086

通常、創業神話と呼ばれるような話はたいていの場合、一神教的な展開を見せる。
「創業社長の切なる願いを元に、この会社は誕生した」として、創業者を神格化し、畏敬の対象にするようなものが多い。

しかし、この青森県株式会社の創業神話は明らかに多神教だ。

日本の古事記において、様々な特徴と個性を持つ神々が織りなす多彩な物語と同様、青森社の神話は社員たちが織りなす多彩な物語になっている。

あなたは、北海道株式会社には「創業神話を社内に広報する目的で」社内報の発刊を勧めたが、青森県株式会社では、社長のトークがすでにその役割を果たしている。

あなたは最初、『社長一人が感じている運命の物語などに価値は無い』と決めつけてしまったが、どうもそうではないようだ。
青森社の社長が語り部であることが、独自の効果を生み出している。

黄泉の国から高天原へ命からがら帰ってきたイザナギノミコトが、禊払いの時に多くの神々を生み出したように、会社沈没の不安を払拭したい一心で語り部となった青森社社長は、社員を一柱の神々としてこの会社に根付かせた。

彼らは社長によって、存在自体に価値を見出されているという自信を持つようになっている。
だからこそ、力も持つが慈愛もあり、他の神の個性を認めて受け入れているかのようだ。
「フランクな社風」というより「調和のとれた社会」というほうが、相応しい気がする。

(それなら)
神話の神々は、それぞれが持つ独自の能力をもって人間界に影響を与えてきた。
青森社の神々は、社会に影響を与えるような力を持っているか?

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