青森県株式会社のケース(5)vol.075

(それが『第1成長期』か)
元国家公務員のあなたにはなじみ深い話がいくつもあった。

たしかに、当時そんなことをしている業者はなかったから、新しいサービスとして活況を呈したのもわかる。

あなた自身、初めて入った宿舎にベッドとタンスが備え付けられていて助かったが、その他のインテリアはどうそろえてよいか全く頭が回らなかった。

テーブルや食器棚なども入居時に用意できれば、それらを使って生活していくうちに、次の引っ越しのときに必要な家具への嗅覚も育ったと思う。

インターネットもないあの時代に、普通に参入したとしたら難しかっただろう。
顧客にメリットを説明するためのコストがかかり、商売としては大きな賭けになってしまったに違いない。

客側に仲介者がいて、しかも高い信用力と実務能力を持っていたという夢のような条件がそろったことで、青森県株式会社の社長はいわば下駄を履かせてもらった感がある。
まあ、運も実力のうちだ。

「でもねぇ、ひととおりサービスが行きわたった後は、異動の時しか新規客は増えないでしょう」
【法人】はそう語る。

しかし、ほぼ2年単位で異動が繰り返されるなら、母数が大きいだけにインパクトは大きいのでは、と、あなたは思いかけてすぐ悟った。

(客は研究所の職員か。それだとビジネスは思ったほど伸びないだろうな)

職員の9割程度を占めるはずの研究者たちには、引っ越しを伴う異動というものはほとんどない。
研究所に腰を落ち着けてその地域で生活を送るのが普通で、引っ越しは結婚して独身寮から世帯寮に移るときくらいだ。

頻繁な異動は残りの事務官たちだけのはずで、その中には社長の友人のように地元採用者が混ざっている。
とすれば、国家公務員といえども人員の出入りはそう多くないことをあなたは察した。

そうなると、最初の急成長がある時点でストップした理由がわかる。
青森県株式会社が近隣の役所(研究所)を開拓しきってしまったからだ。

ということは市場全体でいえば、他社が積極的に参入する本格的な成長時期は迎えていないので、青森社がひとり勝ちしていた時期は成長曲線でいうと、まだ“導入期”にすぎず、次の第2成長期に見える急上昇こそ本当の“成長期”と言えるだろう。

このときから民間にもサービス提供を始めたというが、青森社社長のパーソナルな力が及ぶはずの同地区以外の顧客には、どうやって手を広げていったのか?

《続く》

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