ところが【法人】はそうではないと言う。
「新社長の一番の勘違いは『長い間同じ釜の飯を食い、駆け出しの頃からのオレのすべてを知っている兄貴分たちは、当然オレの気持ちを理解している』と思い込んでいることです」
(そんな勘違いはあるかもしれない)
社員を追いつめ、無理させたり傷つけたりしていてもその実感が無く、むしろ「自分は気遣いをしている」と思い込んでいる可能性が高い。
(家族的な会社ほどありそうな話だ)
実害が無ければそれで良いと思うし、そもそも▲▲社とは、歴史的に取引先とも兄弟分のような関係を築いてきているので、社内がそんな具合でも会社のカラーとしては違和感がない。
むしろ、無機質でシステマチックなビジネスばかりが展開する中で、古き良き時代のにおいを持つ『地元の個人商店』みたいな会社は、どこか安らぎを感じさせてくれる貴重な存在ではないだろうか。
目の前の男の悩みがどうであれ、あなたは新社長の判断に悪い印象を感じない。
そんなドタバタな『お家騒動』も、長い歴史の途上では起きるだろう。
それを乗り越えてこそ、本当の意味で企業は成長していくのだと思う。
のほほんとしたあなたの内心を知るすべもなく、男は熱心に話し続ける。
「今や新社長と古参社員の間に入った亀裂は深刻な状態です。とうとう新社長の意思は、若手を中心に据えて企業力をアップさせるしかないということに傾きかけています」
(おやおや。これは本当にお家騒動だ)
次に古参社員たちが先代社長をかつぎ出せば、対立構造の準備は完了といったところか。
もしあなたが予定通り▲▲社の面接を受けて内定をもらい、何も知らずに入社したら、一体どちら派に属していただろう。
ひょっとすると負け側について、入社早々居場所がなくなって退職するハメになったかもしれない。
「実はまだ極秘ですが、早期退職者募集の告知が計画されています」
(『古き良き時代のにおい』、風前の灯火か。新社長はずいぶんドラスチックだな)
おそらく、古参社員の踏ん張りが無くなると、『古き良き仕入ベンダたち』も▲▲社の歴史において過去の遺物になっていくだろう。
仮に取引が続いたとしても、もはや往年の特色はなく、ベンダの多様性は失われてしまわざるを得ない。
あなたは、
(もったいないな)と何気なく思ったが、
(展開が早すぎる)とも思った。
そこまで急がなければならないほど、経営状態が悪いわけでもない。
それに、あなたの前にいるこの男は、社長から見た古参社員たちの呼び方を『兄貴分』と表現した。
この男が何者かは不明だが、社長になり代わった表現として、古参社員たちを『兄貴』と呼ぶような好意的な信頼関係が、両者の間にはあるのだろう。
なぜ、そんなに不満分子の一掃を狙うのか。
あなたはここで唐突に、総務と経理で世代間に亀裂が生じたのはなぜかと問いかけた。
もうそろそろグイッと話題を引き寄せてもよいと判断したためだが、もう一つ重要なのは、この男の情報力が高いという値踏みが済んだせいだ。
思い込みで感情論に走るタイプや、独善的で公平性に欠けるタイプに対しては、下手に質問を深めると事実からかけ離れてしまう危険がある。
あと、単なるウワサ好きで、好奇心と憶測に振り回されて、誤った情報をまくしたてるタイプにも要注意だ。
しかし、この男はそのいずれにも当てはまらない。