担当官からの電話を受けたのは3日後、木曜日の朝だった。
面談は来週火曜日の午後2時。
総合受付には立ち寄らず、定刻10分前に面談室へ入り、相手を待つようにと言われた。
なお、担当官は同行せず、案内もないという。
いよいよ怪しい。
外部との連絡を徹底的に排除し、当事者同士以外の接触を完全にシャットアウトする。
本当に、そこまでしなければならないことなのか。
相手の社名も、担当者の名前も謎のままだ。
あなたは、今朝からまだ起動していないパソコンに、チラリと目をやった。
月曜日から3日間、就活は停止している。
応募書類を作らず、転職サイトのチェックもしていない。
こんなことは、本当に久しぶりだ。
ハローワークへも行かず、時間に余裕ができたのに、恒常的な焦りを感じて落ち着かない。
強迫観念に駆り立てられて就職活動の日々を送っていたが、いつしかその「強迫観念」こそがあなたの支えになっていたことに気づく。
つっかえを失った恐怖感ばかりが募り、せっかく得られた時間的余裕が目に入っていない。
(正社員時代、休日の朝は何をしていたか)
もはや、あいまいな記憶だ。
溜まった洗濯物を、洗濯機の2回まわしで片づけ、散らかった机の上を片づけ、ぼんやりとショッピングモールを閲覧し……。
たしか、そんなパッとしない1日のスタートから、平坦な時間を過ごしていたような気がする。
平日の5日間、猛烈に効率を追求してきた分を埋め合わせるように、週末に無為な時間を垂れ流してこられた時代は、なんと、もったいなくも平和な生き方だっただろうか。
そして今、急に時間ができても、何をしてよいかわからない。
時間を埋める指向性がなくなっているのだ。
近所のカフェ店で食欲をごまかしつつ、安いコーヒーを飲んで時間をつぶすこともできるが、平日の昼間にしょっちゅう通うのは、どうにも世間体が悪い。
無職である自分を、自分自身が恥じているために、人の目が怖いのだ。
まるで、労働力を提供する代わりに社会での存在を許されているかのように。
このことは、公務員を退職し、初めて職を失って取り乱したときに初めて気づいた。
あなたが感じる強迫観念は、実は自分の無力感に気づいてしまったときの発作かもしれない。
自分で自分を認めていないからこそ、あなたのことを心から認め、応援してくれる真の友人、傍らにいてくれる真の恋人、そして天職にも巡り合えない。
本当は、自分に起きた事象を焦って解消しようなどと考えず、素直に受け入れて時の流れに身を任せることが、あなたにとっての課題なのだ。
それに本腰を入れ始めた時こそ、見えなかった目の前の扉が開き、あなたの本当の人生がスタートする。
本当の苦難、本当の喜びに出会える、あなたが居るべき世界だ。
そこには、本当に分かり合える友人や、心から愛し合える恋人や、生涯かけて取り組める天職が待っているはずなのだ。
今の状態こそ、そこに気づける好機なのだが、そうもいかないまま日を送り、日曜日を迎えた。
週が明ければ約束の火曜はすぐそこだ。