カテゴリー:  相談相手・第一印象の決め方

  • 【法人】現る!(1)vol.034

    地下4階。
    面談の現場は、非日常な場所だった。
    そんなに低い階層へ足を踏み入れるのは、霞が関勤務の頃以来かもしれない。
    ハローワークの中にも、そこへ行きつけるエレベーターは1基しかない。

    カードキーでロックを通過し、エレベーターの前に立った。
    キーは数日前、あなたの自宅に書留で届いた。
    ハローワークでも限られた職員しか持っていないため、当日忘れてこないよう注意されている。

    大げさな道具立てだ。
    これも「守秘義務」のためか。
    しかし、たかがコンサルにここまでの大仕掛けが必要だろうか。
    役所は特別だからと、役人が片意地を張っているのか。
    そうだとしても、さすがにこれは度が過ぎていると思う。

    ただ、労働基準局が相談を受け付ける部屋は、入室するために扉を二つ抜けるそうだから、同じようなシチュエーションを検討した結果、こんな特別室が準備されたのかもしれない。

    そうでないとしたら、それこそあなたが恐れているように、暴力の現場を隠ぺいする舞台装置の可能性も否定できない。

    エレベーターの扉が開いても、あなたは外へ出ず、周囲の気配に耳を澄ませた。

    《続く》

  • 【法人】現る!(2)vol.035

    薄暗い廊下には人の気配がない。
    『開く』ボタンを押したまま、そっと首だけを外に出し、左右を見渡す。

    右奥はすぐに行き止まりだ。
    左側の奥は長く続いているようだが、照明が無く、先まで見通すことができない。

    あなたの行く先は、エレベーターを降りて左斜め向かいの、細い通路の奥だ。
    その通路は廊下から90度に曲がっているので、ここからだと完全に死角になる。

    エレベーターを出て通路の前まで数歩進み、7~8メートル先の突き当りを見ると、薄暗くて柄は判別できないが、扉ではなくカーテンが垂れ下がっている。

    (ここまで来たら、扉で遮断する必要はないということか)
    ふと気づくと、通路の途中に非常階段に抜ける鉄扉がある。

    あなたは少し安堵した。
    いざという時、あなたが大声を出せば、上の階層にいる人の耳に届きそうだ。

    もっとも、地下3階に人が常駐していれば、の話だが……。
    何より、あなた自身がそこから逃げ出すこともできるだろう。

    背後で、エレベーターの扉が閉まる音が静かに響く。
    その音がやむと、地下4階フロアには完全な静寂が訪れた。

    《続く》

  • 【法人】現る!(3)vol.036

    ゾクゾクして、尿意を催す。
    そういえば、このフロアにトイレはあるのだろうか。
    それはあとで確認するとして、まずあなたは非常階段口の鉄扉に近寄り、ドアノブに手をかけてゆっくりと回してみた。

    (よし、動くぞ)

    そっと押してみると、さび付いた蝶番が大げさな音を立てた。
    あなたはぎょっとして周囲の気配をうかがってみるが、誰かが音を聞きつけたような気配の変化はない。

    まだ約束の20分前。相談者は来ていないらしい。
    エレベーターの扉は閉じたまま。
    ドアノブを握ったまま廊下のほうへグイッと体を伸ばし、エレベーター上の回数表示板を確認してみたが「B4(地下4階)」から動いていない。

    体勢を戻してもう一度非常口に視線を戻し、握ったままのノブをさらに押してみると、扉がギイッと音を立てながら開く。

    ゆっくり外へ足を踏み出し、慌てて止めた。
    さっきからずっと目の前に見えていたプレートの文字の意味が、ようやくあなたの意識に飛び込んできた。

    “この扉は反対側からは開きません。”
    一度出てしまうと、反対側から扉が開く階のエレベーターから下ってこないとここへは戻れないということだ。ひょっとすると、上の地下3階も開かないかもしれない。

    たしかにこの地下4階は、災害などの非常時に、避難場所としては使われないだろう。
    非常口が外への一方通行になっていても避難の妨げにはなるまい。

    そして、これから起こるかもしれない、あなたにとっての非常時にも、一方通行は何の妨げにもならない。
    むしろ、あなたが相手(達)より先にフロアを出て階段側に身を移せば、扉は相手から身を守る『盾』にもなりうる。
    とりあえず、身を守るプランが立った。

    (早めに来てよかった)
    あなたは非常口の扉を閉めて通路の奥へと進み、薄いカーテンをはぐって中に入った。

    《続く》

  • 【法人】現る!(4)vol.037

    かすかなモーター音だけが、壁を通して聞こえ続けている。
    あなたが椅子に腰かけてから、もうそろそろ10分が経過する。

    心臓の鼓動がやけに大きく響く。
    口の中が乾いてくるので、あなたは何度もマグボトルを傾け、緑茶で口を湿らせた。

    不意に人の声がして、あなたは、飛び上がるほど驚いた。

    あなたを運んできたエレベーターは、地下4階に止まっていたはずだ。
    これが動き出したら、相手が下りてくる合図だと思い、作動音にはずっと注意を払っていたが、間違いなくエレベーターは動かなかった。

    それなのに、いつの間にかカーテンの向こうに立っていた人物が、部屋の中のあなたに向かって声をかけてきた。

    廊下の奥の暗がりで待機していたのだろうか。
    面談の相手の待機場所は、ハローワークの担当官から聞かされていない。
    あなたの動悸は急速に早まり、アドレナリンが体中を駆けめぐるのを感じる。

    (何人で来やがった)
    あなたは、瞬時に闘争的になった自分自身の思考に驚かされた。

    (何人いようが、全員潰してやる)
    続けて当たり前のようにそう考えた自分自身に、さらに驚かされる。

    これまでになかった思考プロセスだが、まるであなたが最初からそういう人間であったかのようなナチュラルさだった。
    というより、何も考えていないのに、イメージだけが形成され、しかもそれは、「当然そうなる」という根拠のない確信を伴っていた。

    もはや受託契約とか、収入とか、自信のなさとか、ほんの少し前まであなたを取り巻いてきた重苦しい思考の渦は一瞬のうちに無と化して、闘いの意思をみなぎらせたあなたが、そこにいるだけになった。

    さっき確認した逃走経路のことも、既に頭から消え去っている。
    『開き直る』とは、こんな感覚なのだろうか。

    (逃げられないのは、むしろ相手のほうだ)

    こんな文脈、あなたの人生に無かったはずだ。
    自分でないような自分。

    死を考えざるを得ないほど追い詰められたときに現れる「正負の逆転スイッチ」を押すことに、あなたは成功したのかもしれない。

    《続く》

  • 【法人】現る!(5)vol.038

    あなたの招き入れに応じて、相手はカーテンをはぐって入室してきた。

    ひとりだ。
    やや細身の中年男性が、グレーのスーツに身を包んで立っている。

    それを迎える(迎え撃つ)あなたの瞳は、当のあなた自身は気づかないが、中途半端な保身を一切捨てた清々しさをたたえ、挑戦的な輝きを発していた。

    相手の表情に、一瞬「オヤ」という風な動きがあった。
    無理に気負った新米コンサルタントに感じる『張り子感』は、今のあなたにはない。

    相手の男は、そういう『張り子』的な人間が待っていると予想していたのかもしれない。
    あなたは静かな笑みを浮かべ、イスを示した。
    相手は少し打たれたように棒立ちになった後、軽く頭を下げて、大人しくあなたの示唆に従い、腰を下ろした。

    ハローワークから御社のことは何も聞かされていない。名前さえ知らない。
    というありのままの事実を伝えながら、頭にひらめいた質問を伝えると、相手は驚き、戸惑う様子を見せた。
    予想外だったに違いない。

    御社の名前を知る必要があるか? 

    ということが、あなたの質問内容だったからだ。

    社名は聞かない。
    今、目の前にいる担当者の名前も聞かない。

    どうせ事前情報がゼロなら、そんなものはこの場の相談内容には必要がない。
    そう割り切ったあなたは、相手の素性を聞かない方針を取ろうとしたのだ。

    しかし、首を振った相手が口にした社名を聞いた瞬間、むしろ戸惑ったのはあなたのほうだった。
    「私は、▲▲社です」

    (……どういうことだ?)

    《続く》

  • 【法人】現る!(6)vol.039

    ▲▲社とは、あなたがこの相談業務の契約締結の日、せっかくの面接オファーを苦渋の決断で蹴った、あの会社ではないか。

    ……しかし、そんなことがあるだろうか。

    たしかにハローワークとの契約日の朝、応募中企業の面接を受けたいから、締結は少し遅らせてもらえないかと、あなたは担当官に告げた。

    だが、社名までは明かしていない。
    それに、▲▲社に応募したのはハローワークからではなく、「しごとセンター」からだ。

    しかし、しごとセンターも、運営が民間企業なだけで、組織自体はれっきとした公的機関だから、実態は密につながっていて、あなたを試したのかもしれない。

    「契約期間中だが、こっそりと▲▲社の面接だけは受けよう」
    と考えたことが一瞬頭をよぎり、あなたはたじろいだが、すぐに立て直した。

    あのあと、結局あなたは全てを正直に話し、ハローワークとの間で違反行為をしてはいない。

    『初回はお試し』の意味が分かった気がする。
    あなたという人間が、本当に信用できる人間かという、手の込んだ仕掛けではないか。

    となるとこの男は、本当は▲▲社の人間ではないのではとも思う。
    そこに対して、何となく探りを入れてみたくなった。

    社名を聞いたのだから、ついでに所属部署も聞いておきたいと、あなたは男に聞いてみた。
    が、その答えは、あなたが求めているものではなかった。

    「私は、▲▲社です」
    先ほどと全く同じ言葉を、同じ口調で繰り返す相手の目を、あなたは無表情に見つめた。

    その時あなたの頭に浮かんだのは、疑問ではない。

    (おちょくっているのなら、許さん)
    相手の目にピタリと焦点を合わせたまま、あなたは無言を保ち続けた。

    まるで真剣での立ち合いのように、相手の出会いがしらを撃つ気迫を保ちつつも、静かな心境のまま、あなたは平然と沈黙を続けた。
    あなたが知らなかった、自分自身の一面が続出する。

    (撃ってこい)
    と言わんばかりの堂々たる態度。
    重心はしっかりと沈み、上半身に余分な力は一切入っていない。

    長い沈黙に耐えられず、先に音を上げたのは、相手のほうだった。
    いや、あなたの得体のしれない気迫に対して音を上げたのかもしれない。

    「失礼しました。何もご存じでないことは承知しています。今はあえて言葉を少なくして、反応を確かめさせてもらいました」
    男は、居住まいを正して姿勢をまっすぐにし、つつましやかに言葉をつないだ。

    「私は【法人】です」

    《続く》