岩手県株式会社のケース(1)vol.093

【ビールの指輪】

40歳以上を対象にしたこのサービスを、あなたは知らなかった。
アミューズメント施設を経営する企業が、ビアガーデン専門の子会社を設立し、直営展開して話題になりつつあるとのことだ。

「岩手県株式会社」と名乗ったその【法人】の顔は、いつものあの男だったが、今回はまじまじと見つめてしまった。
(仮名に意味はあるのか?)
特徴的な名を持つ話題のサービスなら、最初からあなたが社名を知っていてもおかしくない。この男が親会社(アミューズメント)でも、子会社(ビアガーデン)でも特定は容易だ。隠す必要などないだろう。

(どうしても日本を縦断させたいのか?)
あなたの前にも、あなたと同じように【法人】の相談を受けていた受託者たちがいる。
同じように、仮名を北海道から順番に南下させていて
「今度の人は静岡までだった」とか、ハローワーク内ではそんな会話が行われているのだろうか。
あるいは管理の都合上、あなたと同じことをしている受託者と重複しないように、そちらでは国名とか山や河川の名称が使われているのだろうか。

まあいい。ハローワーク側のそういった「設定」は無視すると決めていたはずだ。
あなたはあなたのことだけをする。というか、ハローワークを上回る強さであなたの側の「設定」を押し通す。
今のところそれで通用しているようだから、行けるところまでこの路線でいこうと思っている。

問答無用で手のひらを見ようとしたが、次に【法人】が口にした言葉で、あなたは考えを改めた。

「私は、その指輪に使われる部品のメーカーです」

(そうきたか)
あなたが反射的に思ったほど、単純な図式ではなかった。

アミューズメントを営む親会社にとって、ビアガーデンのビジネスはベンチャーで乗り出した、いわば「様子見」だった。
本来は、遊びの要素を取り入れた新しいタイプのビアガーデンとして、自社で展開したかったが、業態が違ってしまい色々と不都合が多いので断念し、子会社化した。

それほどの大手企業ではなく、資金力にも限界があったので、子会社への資本投下は慎重に、というか、任された実行責任者の実情としては逃げ腰に実行された。
当然、アイテム開発のために大金をかけて大企業と組むことなどは出来ず、ほとんど「町工場」というに近い岩手県株式会社をパートナーに選んだ。

『ビールの指輪』という名称は、40代以上の層にはなじみ深い、むかし大ヒットした『ルビーの指輪』という歌謡曲をもじったものだ。

最大40人程度まで収容できる会場内に、3台のビール供給機が置かれていて、それぞれが生ビール入りの大きなタンクとつながっている。

客に提供する容器は小さいものから順に、
1. プラスチックカップ(小)<約120ml>
→2.プラスチックカップ(中)<約180ml>
→3.小ジョッキ <約250ml>
→4.中ジョッキ <約300ml>
→5.大ジョッキ <約500ml>
→6.ピッチャー <約1600ml> となっている。

客はビール供給機の前に手ぶらで立ち、容器種別を6つのボタンから選択し、読み取り口に指輪をかざす。
指にはめてさえいればグーでもパーでもよく、手のひらでも甲でもかまわない。
指輪とビール供給機の交信が完了すると、指定の容器に注がれたビールが受け取り口から、『ルビーの指輪』の曲とともにスライドして出てくるという仕掛けだった。

会員制で、入会金を払って登録すると、識別登録した指輪が渡される。これが会員証の役割を果たす。入会条件は40歳以上だ。

利用人数分の入場料を払って店内に入るとビールは飲み放題。食べ物は有料だ。時間制となっていて、入退時刻は指輪でチェックされる。
会員が同席していれば非会員も利用可能だが、ビールの注文には指輪が不可欠なのだ。

一見不便に思えるこの供給システムに、ヒットの大きな要因があった。

つまり、非会員の女性が多くいると、男性会員はビール供給のために引っ張りだこになって「モテる」という付加価値の提供が大いにウケたのだ。

「指輪は装着した状態でなければ機械が作動しない」というところにポイントがあり、テーブルに置いた指輪を全員が道具のように使い回すのではなく、誰が使うにしても必ず指にはめなければならない。
後述することになるが、会員価格はプレミアムで、それに比例して指輪のデザイン性も高く、粗末には扱えない外観だ。そのためほとんどは会員の指にはまったままとなる。

だから、ビールが欲しい場合は会員に取りに行かせればよいのだが、それでは気の毒だということで、たいていは一緒に連れ立って供給機まで歩いていくことになる。
どちらも嫌なら、会員から受け取った指輪をはめていかねばならない。
となれば後は言うまでもないが、中年男の他愛ない夢の実現(女性が嫌がらないかぎりだが)が待っている。
指輪をはめてあげるところまではしなかったとしても、最低限のスキンシップとして「指輪の手渡し」が都度発生する。

何やら男女間の怪しい空気が醸成されそうな舞台装置で、いかにも若いベンチャー企業が力任せにやったお騒がせ企画のような印象も、当初はあった。
しかし、会員が若い男性を同席させて『供給係』に仕立ててやることで、女性との縁を作ってやろうとするようなケースも多く、当初懸念された「不倫の養成所」的なイメージは、意外に早く打ち消された。

そんなこんなで、「会員は40歳以上」と規定しているにもかかわらず、若い世代がこのシステムに親しむようになり、口コミやネットコミがメディアに取り上げられるまでの期間は短かった。

そして、メディアに登場したとき一番インパクトがあったのが(というか、メディアも不倫イメージが前面に出ないよう、積極的にそこをアピールした)、ビール供給機と指輪の「お遊び感覚のコラボレーション」だった。
アミューズメント企業の面目躍如といったところだろう。というより、そもそもビアガーデンを始めた理由は、これがやりたかったからなのだ。

ビール供給機の前に立ち、容器サイズの選択ボタンを押さず、その横の付属マイクに向かって
「ビールの指輪!」
と発声して指輪をかざすとランダムモードになるというものだ。
酔っぱらった男は子供に戻る。
変身ヒーローを気取ってオーバーアクションで指輪をかざし、笑いを誘う姿は日に何度見られるかわからない。

ランダムなので、どのサイズが出てくるかは、ゲートが開いてせり出して来るまでは不明で、見守る周囲のワクワク感が高まる。
狙い通りのサイズが出現したときには歓声が上がり、彼は文字通りヒーローになれるのだ。
希望と違うサイズが出てきても、それはそれで笑いが起こり、罰杯をあおって盛り上がったり、小ジョッキが欲しい時にピッチャーが出てきたときなどは、他のグループ客の席へ注いで回ったりして、思いがけない交流も生まれる。

20代の元気すぎる若者だけの集団では羽目を外しそうな要素満載の企画だが、その歯止めにもなる「40歳以上限定の会員制」だ。
入会金は「ただの酒好き」程度ではわざわざ手を出そうとは思えないほどのプレミアム価格にした。
中高年の中でも特に、陽気にはしゃぐのが(それも女性を交えて)好きで、そのことにはプレミアム価格を払ってもよいと考える層を狙い打っているだけに、指輪のデザインは相当に洗練され、女性から見てもジュエリーとして遜色ないレベルに仕上がっている。しているだけで「おしゃれ」なのだ。

このことは、「それじゃあ最初に、指輪はテーブルに置いといてもらって~」などと粗雑に扱われることを防止し、『はめたままでないと供給機が作動しないので必ず同伴』というシチュエーションに持ち込みやすくする意味でも会員メリットを提供していた。

新しいタイプのこのビアガーデンは、会員にとっていろんな意味でのプレミアム感を享受できる場所であり、若い世代にとっては、いつか自分も入会したいあこがれの空間となった。
その空間への「案内人」である40歳以上のオジサンたちが身に着けている『指輪』が、“あこがれの空間の象徴”として、様々な媒体で描かれるようになった。
予算が厳しい中、カネの賭けどころを上手く当てたことが、何十倍、何百倍ものリターンをもたらした。
さらに、ビール供給機のランダムモードでニュース性を演出し、ネタを探すメディアに売り込んでWIN-WINの関係を築くことができ、マーケティングは大成功をおさめたのだった。

(なるほど)
あなたは成功物語を聞きに来たのではない。
『ビールの指輪』で成功を果たした運営会社の陰には、指輪に演出効果を与えた立役者がいる。
成功の陰で問題を抱えた陰の立役者は、人には言えない翳を抱えてあなたに会いに来た。
この話の背後に横たわる問題への対応こそ、あなたの関心事だ。

岩手県株式会社のケース(2)vol.094

スタビライザー。
【法人】は何度もこの単語を口にしたが、正直なところあなたには正確に伝わらなかった。
スタビライザー = 姿勢制御装置?
そんなことを何となく思い浮かべるだけで、技術的なことには深入りしないつもりだった。
ランダムモードで調子に乗ってオーバーアクションした利用者の指先が、ビール供給機の読み取り口に近づいたとき、理想的な形で交信がされるために必要な技術なのだろう。

たしかに、いい気分でポージングしているときに、年がら年中エラーが起きて機械が作動しなかったら白けてしまう。
ビールの注文で客に面倒をかけるリスクを採ったのは、順調な機械動作の裏付けがあればこそだ。
薬効と毒性が紙一重なクスリのごとく、好評とクレームは皮一枚の表裏だったが、場末の町工場にひっそりと息づいている名工の技術が、それを支えていた。
ビアガーデンの運営会社(以後『ビア社』)にとって、それは想像を超える嬉しい誤算だった。ビア社の実行責任者にしてみれば、規模は小さくとも商売にできた実績さえあれば親会社への顔が立つので、指輪に関してはもう少し粗雑な仕上がりでもよかったのだが。

大方の案に相違して、ビジネスは急成長した。
想像をはるかに超えるニーズに対し、供給がまったく間に合わない。予約がさばけないのだ。
当初は3時間だった時間制度を2時間制にしたが、そんな程度では話にならない。
「プレミアム価格の会員なのに、たったの2時間で出されるのか」という客の意見が続出した。たしかに払わせた金額を考えたらもっともなことだ。
予約受付の窓口担当者は、希望日時を断られた会員の「それじゃあ、その次の枠は?」と、常識的な延期日時を期待した質問に対し、「2か月先まで埋まっておりまして」と答えてムッとされることが苦痛になった。

どんなにプレミアムを謳っていても、せんじ詰めればビアガーデンだ。気軽に利用できる場所というイメージが、誰の意識にも深く刻まれ、生活の中に溶け込んでいる。
「今日はビアガーデンで飲んでいくか」とか「今週末はみんなでビアガーデンに行こう」など、リアルタイムのニーズが当たり前の中で、あまりにかけ離れた予約しか取れないようではビジネスが維持できなくなる恐れがある。

好評に気を良くした親会社(アミューズメント施設運営会社(以後『アミ社』))は、投資回収は完了していなかったがビア社への増資を決定し、事業の拡大(店舗展開)を命じてきた。2号店、3号店の開設が進められることになったのだ。

岩手県株式会社のケース(3)vol.095

ビジネスが予想以上に急成長したときに起きる代表的な問題は「品質低下」だ。
これは、製品の品質である場合もあるし、事務品質の場合もある。
それから見落としがちなのが、自社は何とかしのげても、外注先や提携企業がパンクしてしまうことだ。他社の内情までは詳しく知らないから、そんなに切羽詰まっている状況が把握できず、急に納期が遅れだしたり、ミスの連発が起きて何事かと追及したら、「そんなオーダー数に応じられる能力はない」と打ち明けられることがある。

事業を始めたばかりの無名企業と組んでくれるのは、地元で同じように小さく事業を営む会社であることが多い。
釣り合いの取れる規模のうちは良いが、片方が急成長を始めると、もう片方がそれについていけなくなる。
ビア社の場合、急成長による自社内の品質低下は、親会社からの資金援助が早々になされただけでなく、親会社と同じビルのフロア内にいるので、勝手知ったるアミ社の社員が応援要員として駆け付けるなどの手厚い保護が為されたことで随分回避された。

しかし、指輪の心臓部を託された岩手県株式会社は、単独で事業を営む地元の小さな町工場にすぎない。熟練工の社長(オヤジ)と二人の息子のほかは、事務の女性をひとり雇っているだけの陣容だ。
当初ビア社の事業部長は「ひと月に5個も作れればいい」という見込みでこの話を打診してきた。
「いいよ。そのくらいなら」と、オヤジが引き受けて始まった。

ところが、たった4か月後には注文数が「ひと月に300個」になった。
工場では他の仕事も受注している。それらも手掛けながらだと、休みなく働いても月に15個が限度だった。
前月に78個の注文を受けたことに驚きながらも「断る口数より、やった方が早い」とだけ言って淡々と仕事をしてきたオヤジですら、これにはさすがに音をあげた。

オヤジだけが持っている“感覚”が、スタビライザーを実現させる。息子たちにはできない。オヤジが担当している他のことをどれだけ息子が引き受けても、絶対的に時間不足だ。
それに、職人の仕事には長年の経験で自然に身についた理想的なリズムがある。前後の作業をすべて人任せにすると、肝心な部分の精製が上手くいかない。
単なる計算で効率を追求しても、この場合は解決策にならないに違いない。

(さすがに、今回の話にはシステム会社は出てこないだろう)
あなたは、【法人】の話から、この問題に対するアプローチの困難さを思った。組織としての絶対的な限界というだけなら、インフラを充実させて(その資金があればだが)対処する道はあるが、この場合はオヤジさんの時間と体力だけが頼りで、完全に一個人に依存している。オヤジさんが体を壊したら指輪のクオリティは維持できず、ビア社の事業も、アミ社の目論見も崩壊する。

アミ社は株式上場企業なので、当然株価への影響を考えて、何が何でもビア社の事業を継続させたいはずだ。岩手社社長の時間のやりくりや体調などは当然ながら眼中になく、子会社であるビア社に厳命を下し、その威を恐れるビア社は岩手社に対してひたすらハッパをかけ続けてしまうだろう。

(オヤジさんが心配だ)
オヤジは54歳。二十歳で独立してから34年にわたって、職人として地道にこの小さな工場を営んできた。
「工場が火事場のような騒ぎになっているとき、システム会社が来まして・・」
(来たんかい!)
【法人】の淡々とした話に、あなたは内心つんのめった。
「生産管理システムの導入を勧めてきました」
(・・・)
「オヤジは『たった4人の工場に、そんな大げさなものがいるか』と追い返しました」
(それはそうだろう)
「その後、何社ものシステム会社が来るようになったので、応対は息子たちに任せるようになりました。オヤジは『ウチの名前はテレビに出てないのに、よく見つけるな、こんな小さな工場を』と呆れていました」
ビジネスだから、それはやはり、鵜の目鷹の目で探し出すのだろう。ビア社やアミ社から聞くことができるだろうし、銀行筋から得られる情報もあるはずだ。当然、銀行も融資の勧誘に来るだろう。

「融資、投資の勧誘のほかに、取材の申し込みや広告掲載の売り込みなども多数来ています。オヤジが息子たちに対応を任せるようになったのは、それらに付き合っていられないからです」
あなたは岩手社に同情した。仕事の邪魔になるほどやってくる訪問者たちのきっかけを作ったビア社やアミ社は、オヤジの仕事への妨害に対して保護などはせず、何とかの一つ覚えのようにハッパをかけて促進させることしかしていないようだからだ。
幸いなのは、気の強いオヤジがビア社の担当者にへつらうことがなく、技術面に出しゃばってくると頭ごなしに叱りつけるだけの気概を持っていることだ。【法人】が言うには、ビア社やアミ社の社長が“陣中見舞い”に来た時ですら、普段と全く変わらない態度で接していたらしい。

「ウチは別に『ビールの指輪』の仕事が無くても、それなりにやっていけるんです。オヤジもそれほどこだわっていません」
そんな気がする。仕掛けが上手く当たり、マスコミの持て囃しに踊るアミ社や、親会社であるアミ社の顔色を窺うビア社とは、たまたま『技術』という接点でつながっているだけであり、同じようにつながっているたくさんの会社の中のひとつにすぎない。

岩手県株式会社のケース(4)vol.096

(いっそ・・)
と、ふとあなたは思った。

たしかに『ビールの指輪』のコンセプトは面白い。だが、今と同じ盛り上がりはそう長く続かない気がする。一時の過熱にあおられて、自分の姿を見失ってはならない。

(岩手県株式会社に、この仕事はふさわしいだろうか)
どちらかと言えば、高い技術力で先鞭をつけ、後進が歩む新しい道を切り拓く役割がふさわしいのではないか。
切り拓かれた道を均していくのはその後進(他社)たちで、道なき道を往くのがこのオヤジが率いる岩手県株式会社の精鋭たちと考えれば、製品を提供したビジネスが成長期に入ったのを見届けた時点で、自身はフェードアウトしていくのが自然だと思う。

せっかくヒットしたにもかかわらず、オヤジがこの仕事にこだわりを見せないのは、そういう自分の役割を知り、身を引くべき時期を察しているからこそではないか。

だからいっそ、撤退してはどうだろう。
【法人】の誘導で、社長や社員の動きは方向づけられる。
あなたが自分の直感を、目の前の【法人】に示唆することで、会社の舵が切られる(ということらしい)。

実行されるか否かは定かでないが、いずれにしてもあなたの解釈投与には大胆かつ慎重な判断が必要だ。
あなたなりの見切りをし、論旨展開するための情報が欲しい。
あなたは【法人】に、手のひらを見せるよう要求した。

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岩手県株式会社(左手)
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岩手県株式会社(右手)
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今回の基本線ガイド
個人 【法人】
生命線 取引線
知能線 製品線
感情線 社員線
運命線 取引先線
太陽線 市場(マーケット)線

第一印象は、「知能線(製品線)から伸びる太陽線(市場線)」だ。
普通の個人の鑑定なら、「才能で金運をつかむ相」というトークを展開できる。
【法人】に置き換えても今までの話を立証するかのような相で、オヤジさんはその技術で業界にしっかりと根を下ろしている。
部品の仕入先も顧客も、オヤジさんの技術を認め、信頼する中で関係が築かれており、製品に立脚した市場での存在感が明確に表れている。

また、右手の運命線(取引先線)が生命線(取引線)から昇っている。右手なのでいずれも売上を意味する。
オヤジさんにとって、納めた製品への思いは、自分の分身か家族に対するもののように強く、それほど強い思いを込めた製品が信用や評判を生み、次の売上へとつながることを明示している。

実際にデータベースの取引記録から確認しても、一度納品した機械や部品の修理依頼はほとんど見られず、むしろ周辺機器である他社製品に起きた故障修理や、岩手社製の部品が組み込まれている本体そのもののメンテナンス依頼が増えてくる傾向がみられる。
岩手社製品の高い安定性が同社への信用を築き上げ、他社を利用していた取引相手が乗り換えてくる形で、商売は繁盛していた。

また、製品を雑に扱う相手を避ける嗅覚も優れていると、あなたには感じられた。
今回の『ビールの指輪』についての企画が持ち込まれた際の会話の中でも、デザイン性の高さに強い関心を示していたと【法人】が話すので、オヤジさんは装飾品に興味を持っているのかと質問したが、腕時計すらしないタイプで、服の質の良さにはこだわるが、装飾に対する執着は全くないらしい。
指輪のデザインへの強い関心は、自分が作った製品が実際に使用される現場を想像し、大切に扱われる環境である手ごたえを感じたからではないかと思われる。

岩手県株式会社のケース(5)vol.097

手相とデータベース(あなたにとってはどちらも同じものだが)、いずれの判断材料も、岩手県株式会社が「高品質の多品種少量生産」あるいは「一品もの」に適していることを示している。
岩手社を訪れている各システム会社の営業は生産管理システムを提案してきたというが、規模を追わないこの会社にはそぐわない。
話を聞くと、どのシステム会社も、今話題沸騰の『ビールの指輪』の部品用にという話で勧めてきているようだが、それはあきらかな過剰投資だ。

「『今導入して御社なりの使い方に慣れておけば、将来のスムーズな多角的活用へ移行できます』と言ってきた会社もありましたが、それはどうでしょう」
【法人】はあなたにそう訊いてきた。
勢いに乗せられた今回の話は抜きにしても、いずれは必要になるものなのではないか、という検討もされているらしい。おそらく、二人の息子たちはまだ若い世代だけに、IT関連のそういった話には少し引き付けられるところがあるようだ。

それはどうだろうか。
あなたはそうは思わない。
大きな企業では「システム導入は何年何月から運用開始したい」と時期を基準にできるのに対し、小さな企業では「システムは今この瞬間から使いたい」という切羽詰まった状況であることも多い。
ニーズが、焼け付きそうなほど高まっているというのに、導入されてから使い方のレクチャーや訓練が始まるようでは使い物にならない。
払っただけの金額に見合わないのだ。心情としては金額の桁をゼロ2つ3つ取り払いたくなる。

そうなってしまうことを防ぐ意味でも、早くから自社業務のIT化について検討し、使用練度を上げておくことは非常に大きな要素になり得る。

しかし、IT化の練度についてシステム会社に「相談」する程度ならともかく、パッケージを買う前提での「商談」は、将来“多角的活用”の筋道が立ってから始めるべきだと思う。
むしろ“使用練度の向上”などはユーザーを煽るよりも、システム会社が豊富な経験に基づいて自らの手を砕き、インターフェースのデザインや操作性においてカバーすべき内容だ。
未知の将来を「保証」したかのような甘言に釣られて、早計なキャッシュアウトを考えてはならない。

システム会社はそれで断るとしても、問題は『ビールの指輪』のビジネス拡大に、どう対処すべきかだ。
今のオヤジさんは、『ドラゴンボール』の連載を終わらせてもらえなかった鳥山明と似たような立場にあるようだ。
集英社をはじめとする『ドラゴンボール』という作品の利害関係者が、連載終了による実害(株価への影響まで考慮された)を回避するため、もう止めたいと願っていた作者の意向がなかなか通らなかったというあれだ。

むろん、『ビールの指輪』はまだそこまでのレベルにはなっていないし、ロングセラーにもならないだろうが、ヒット商品に乗った企業の都合で、才能ある一個人がギリギリと締め付けられてしまう点は似ている。

上り坂の真っただ中で冷静にブレーキを踏める事業者は少ない。
「いない」と言い切ってもよいはずだ。
今のビア社、アミ社に自らの足でブレーキを踏ませようとするのは不可能と言っていい。岩手県株式会社の撤退は、絶対に認めないだろう。社長が倒れてしまったら、今度は息子たちに矛先を向けてくるのはわかりきった話だ。

(スタビライザーの開発ノウハウを、大量生産が得意な工場へ売れればいいのに)
素人のあなたはそう思うが、そのノウハウが、教えて伝わるものではないためにこの問題が起きている。それは理解しているのだが、解決方法が思いつかずに堂々巡りするうちに、ついつい「他所へ売れればいいのに」という短絡的なフレーズにぶち当たってしまうのだ。

岩手県株式会社のケース(6)vol.098

(しかし、『スタビライザー』ってなんだ?)
【法人】の説明序盤で早々に放棄したこの言葉に、再び戻ってしまった。
改めて【法人】に質問してみると、どうやらこういうことらしい。

「ビールの指輪!」という音声を感知したビール供給機の読み取り口からは、半径60センチの範囲に微弱な電波が10秒間放出される。
放出範囲が広すぎたり、その時間が長すぎたりすると、近くにいる他の会員の指輪が反応して誤作動を起こす可能性があるので、その防止のため「60センチ、10秒」を限度とした。
mode_rnd
照射範囲内に入った指輪は、供給機からの電波の存在を検知すると同時に発信元を突き止め、受信信号を送り返す。
1秒間に128回の送受信が連続成功した時点で、「accept」の情報を供給機側へ送り、ランダムモードの「注文」は完了する。

ちなみに、客が容器の選択ボタンを押した場合(通常モード)の電波放出範囲は短く、20センチを限度としている。
mode_nml
通常モードで容器サイズを決定する場合、普通は派手なポーズを取らない。会員は読み取り口の正面に指輪をかざすだけなので、電波の送受信は20センチ以内で行われると考えて問題ない。

しかしランダムモードを選んだ場合、会員の手は照射範囲などお構いなしに動き回り、半径60センチの外へ出てしまうこともある。
どの角度へどんな速度で移動しようとも、そして、その途中で照射範囲の外へ出ようとも、単位1秒の中で正確に発信元を特定して交信を行える機能を、小さな指輪の中に装備させたのが『スタビライザー』と呼ばれるものの正体だった。

(へえ)
無感動で平坦な感想しか、あなたは持つことができない。
機械が苦手なあなたに、こみ入ったエレクトロニクスのメカニズムはどうにも馴染めない。
しかし、それほどの機能を指輪のパーツに仕込んだ技術の凄さはわかる。

たとえば、小型化をイメージすることはできても、それを制作するための部品や工具、そして動作イメージが伴わないと空想にすぎない。
だから、大多数の人間にとっては空想の域を出ない。
そんな中、岩手社のオヤジさんだけにはそのイメージが出来、しかもそのとおりに手を動かせる力があったということなのだろう。

(それにしても、なぜ『指輪側』に機能を集中しなければならないのか)
今聞いた話によれば、ランダムモード時に複雑な機能を発揮するのは指輪側ばかりで、デカい図体をした供給機側では、「ビールの指輪!」の音声を認識して半径60センチ範囲へ電波を送信し、交信完了後は乱数を発生させてサイズ選択をすることしかしていない。サイズが決まってからの動作自体は、普通の自動販売機とさほど変わらないはずだ。指輪と供給機の両者で、受け持つ機能に差がありすぎると、素人のあなたにも感じられた。

現在は、発信体である供給機の存在を、受信体である指輪が捕捉する方式で動いているが、考え方を逆にすれば良いだけな気がする。
『スタビライザー』は、指輪サイズだと岩手社のオヤジさんにしかできない仕事になるが、供給機側に付けられる大きさなら、比較的簡単に実現できるのではないだろうか。
あなたは【法人】にそう話してみた。

「実は当初は、ビア社はそういう形にしたかったようです」
【法人】はそう語り出した。
「【法人】の記憶」にそれが残っているということは、社内でその会話が行われていたということだ。

(やはりそうか)
このビジネスでは、指輪は「大切に扱われる」ための高いデザイン性さえ確保できればよい。どれだけ欲張っても、本人識別機能まで装備できれば十分だ。スタビライザー機能は明らかなオーバースペックである。
どう考えてもその機能は、供給機側に搭載するのが自然だ。

「それができずに、指輪に頼る仕組みになってしまったのは、ビア社の予算のためです」
(うーむ・・)
何となく話が見えてきた。

岩手県株式会社のケース(7)vol.099

ビール供給機は飲料メーカーとの提携で、その傘下にある企業が開発を担当した。
最初は全機能を供給機に持たせるつもりでいたが、開発費用の見積もりを出させたところ、ビア社が考えている予算をはるかにオーバーしていた。
しかし、ビア社が親会社であるアミ社の意向(威光?)を無視できないのと同様、供給機開発会社も飲料メーカーから示唆された受注予算を減額することはできず、交渉は平行線をたどることになった。

進退に窮したビア社は、供給機には音声認識及び、乱数発生と自動配給機能だけを注文し、残りはエレクトロニクス業界の一部で高い評判と噂される岩手社に依頼することになった。
岩手社にしてみれば、ビア社の予算的なしわ寄せを受けてしまったようなものだ。
(安い予算で高い技術を提供した挙句、今度はこき使われようとしているのか)
あなたは岩手社に同情した。

「今なら、もっと予算を大きくとれるんでしょうね。飲料メーカーにも強気で出られるはずでしょうから」
【法人】は述懐するかのように言うが、これも岩手社の社内で交わされる会話なのだろう。
予算を大きく取って、指輪偏重(技術上の)となっている今のスタイルを根本から変えてもらわないと、と【法人】は言う。

早朝から黙々と工作機械に取り付くオヤジさんと、来訪者への応接とオヤジのフォローでせっせと働く息子たちと事務員。みな休日返上で遅くまで頑張っている。これ以上の負荷はかけられない。今の状態が続けばいずれ誰かが倒れ、一人失っただけで岩手社は崩壊する。

(この場合、誰に対してどう働きかければよいのだろう)
あなたは首をひねった。
もし、今あなたの前に座っているのがビア社またはアミ社だったなら、あなたはその【法人】に次の行動を示唆すればよい。彼らは適宜、社内の必要な人間を誘導し、岩手社を救う働きをするだろう。

要は、指輪と供給機の造りを変えることだ。
そうすることでより多くの利用客を獲得でき、店舗展開も今よりずっとフットワークが良くなる。名工の手が動く速さでしか進まない今の状況では、彼らも首が締まるのだ。

しかし、残念ながら目の前にいるのは救われるべき岩手県株式会社。
職人肌のオヤジさんは、手練手管を使ってビア社を動かすような細工には縁遠い。それに、目の前の巨額な利益をむさぼろうとするビア社とアミ社の欲望はあまりにも強大だ。いかに【法人】がオヤジさんを誘導したとしても、効果が表れるのに時間がかかりすぎて、岩手社に犠牲者が出る方が早いだろう。

岩手県株式会社のケース(8)vol.100

(スタビライザーの技術を、どうにか譲渡できないか)
機能を模倣、かつ量産できる会社が、さらに安価でビア社に供給を申し出れば、岩手社はこの仕事から足を洗える。
それには技術を売ることができればよいわけだが、買い手がつくかという問題がある。
それはさっきから堂々巡りしていることだが、【法人】はさらにこんな裏話をあなたに披露した。

ビア社はビール供給機の製造会社に、スタビライザー(という名称ではないが)の製造を発注することを諦めた後、予算内でやってくれそうな企業を探し回った。親会社であるアミ社の後押しが得られたのでかなり手広く調べ、いくつかの心当たりを見つけることができた。
しかし、いざ交渉に入った段階で、別の問題が持ち上がった。

ビール供給機の機体に使う金属が、供給機と指輪の通信に影響を与える場合があることが発覚した。
1回から数回の送受信では影響を受けることはほぼないが、その程度の回数では他の電波が混線した場合に誤作動を起こす。
現在のスタビライザーが1秒間に128回もの送受信を行うことで通信完了としているのは、供給機の素材を手に取ってみた岩手社のオヤジさんが、それだけの交信を要すると判断したためで、本来はそこまでの配慮が必要な問題だった。

しかし、供給機のデザインに使う装飾にも電波との問題があったため、そこがクリアになった時点で解決と考えて進めてしまっていたのだった。
予算無し、時間無しで進める新規企画ではありがちなことといえ、これについては機械の構造上の問題のため、解決を現場のホールスタッフに丸投げ、というこれもありがちな無茶ぶりをするわけにもいかない。

苦肉の策で、より影響の少ない「発信がメインとなる機器」だけを供給機の読み取り口に据えることにし、機器の外側を機体とは別の素材でコーティングすることにした。当然、コーティングの分だけサイズアップが必要になる。
この依頼が追加されたため、ビール供給機製造会社への支払いは増額され、他社との交渉中だった「受信体を機内に設置する」案は見直しを迫られた。
このうえ受信体をも据え付けるとなれば、さらに大幅な増額を要求されることが、容易に想像できるからだ。

「機内のスペースは限界で、新たな追加は設計レイアウト全般の変更を余儀なくされるから」
供給機製造会社の担当者はそう話したとのことだが、背後に親会社(飲料メーカー)の影がありありと存在していることが明白で、技術的正論よりも力関係が言わせた理屈と、脂身(利益)がたっぷりと乗せられた価格であった。

むろん、供給機の機体の素材を変更させる案も出したが、ビア社にとっては法外ともいえる金額を提示されて断念したのは言うまでもない。
こうして、他社と進めていた開発の交渉は空中分解した。

なお、声をかけたすべての企業に「指輪内にこの機能を装備できるか」と問いかけたが、「できる」と答えたところは1社もなかった。
つまり、初期段階で候補となった企業のすべてが「わが社ではスタビライザー製造は不可能」という答えを出しているのだ。

ただ、ヒット企画としてマスコミに取り上げられ、会員数の急上昇が現実のものとなっている現在は、勝算の見込みが得られなかった当時とは違い、各社とも投資に対する回収スパンの計算ができるようにはなっている。
現時点では名工にしかできない技術とはいうものの、十分な予算が準備でき、本腰を入れて試みれば、あるいは実現できる企業があるかもしれない。

とはいえ、技術購入に資金がかかり、それから開発となると、そこまでにかけた時間を取り戻すため、余分にカネがかかる。
技術は欲しいが、取得金額はできるだけ下げたい。各社とも交渉は慎重に行うだろう。
今の岩手社に、それに付き合う余裕など、1分1秒たりとも無い。

岩手県株式会社のケース(9)vol.101

(それならいっそ、無料公開はどうか?)
岩手社から技術供与を受けた企業が、量産体制の構築に成功するかどうかは一種の賭けだ。
だから、「有料買取り」に慎重になるせいで動きが鈍重になるというなら、プログラムのオープンソースよろしく誰でも閲覧可能にして、スタビライザーと同等の技術を擁した企業の参入を待つという方法だ。

ある種、捨て身の発想である。
欲に目がくらんでしまっているビア社とアミ社は、どうもその点を全く顧慮していないようだが、岩手社のオヤジさんが開発した「スタビライザー」と内輪で呼んでいる技術は非常に価値の高いもののはずだ。
ビール供給機の製造会社がビア社に出した見積金額がいくらかはわからないが、発注を諦めたほどの価格がつく技術ということだ。
それを指輪サイズで実現させたことと、事業開始後に指輪側のトラブルが一件も起きていない事実が示す「安定性の高さ」までを考慮すると、岩手社がこの技術に対して提示しても良い金額は、それとはけた違いに高額だといって差し支えないと思う。

(それほどのものを『無料公開』か・・)
あまりにももったいない話だ。

本来、『ビールの指輪』の事業などには釣り合わないほどの高度技術なはずで、現在ビア社に機械部品として納めている金額ではバカバカしいもいいところだ。
ただ、この仕事を引き受けるときから一貫してオヤジさんがこだわるのは、金額よりも「自分が作った製品が大切に使われるかどうか」であり、それは「技術」に対しても同じことだという確信が、あなたにはある。

(だから、金銭的なことではなく、公開した技術が大切に扱われる保証がないことに抵抗を感じるのではないか)

仮に、ここであなたが【法人】に、ホームページを作って技術そのものを掲載するよう示唆すれば、それは実行されるだろう。
しかし、強引にそれをすれば、岩手県株式会社の、決して侵してはいけない領域に踏み込んで、【法人】の魂を傷つけることになる気がしてならない。

(解決するための「テクニック」や「効率」をいたずらに追うことで、本当に大切なものをおろそかにしてはならない)
これはたぶん、あなたなりにこの仕事に携わるうえでの倫理だと思う。

一応、無料公開するための手順は、すでにあなたの頭の中に展開している。
今回開設するホームページは、広告代理店任せで構わないから早速見積もりを取って発注する。
岩手社では、工場の中をひっかきまわして名刺を集める。【法人】いわく、これまでにもらった顧客や仕入先をはじめとして、最近訪れるようになった金融機関やシステム会社まで含めて、約4千枚の名刺が眠っているようだ。
それらへ片っ端から連絡を取る。ファックスの一斉同報でよいので、「技術提供のお知らせ」を送ってホームページを見るように促す。

これで、“関係者”への告知が終わる。
ファックスを受け取った当事者自身か、当事者から情報提供を受けた第三者のうち、技術者を擁する企業、またはそういった企業とビア社との仲介で儲けようとする企業がホームページを見て反応することが期待できる。
あとは、法的責任の問題などが発生しないよう、注意書きを添えておく。
「この技術を応用して事業化する場合は、すべて応用する側の責任において行ってください。掲載者は一切の責任を負いません」といった内容になると思うが、この辺のことにあなたは詳しくないので、それは【法人】が確認すべき事項としてこの場で伝えておけばよい。

と、頭には浮かんでいるのだが、あなたはそれを【法人】には伝えないことに決めた。
やはり、『技術を渡す相手』と『渡し方』には十分な配慮が必要だ。

では、どうするか?

岩手県株式会社のケース(10)vol.102

『技術を、相手かまわず、見境なくばらまく』
これは、岩手社のオヤジさんの仕事観に反する行為なだけでなく、効果が表れるまでの速度や確実性も信頼できない。
どこの誰だかわからない人間が、勝手な思惑や不確かな技術で、ちぐはぐな時期に行動されては、彼らがビジネスを仕掛ける相手であるビア社ではかえって疑心暗鬼になり、今より一層岩手社をアテにするようになりかねない。

そもそも、独断で技術を公開したことで抗議してくるだろう。権利は岩手社にあるとはいえ、事業への妨害行為として損害を主張されでもしたら、とてつもなく厄介なことになる。
窮状を訴えても助け舟を出すどころか、要求を強めてくるような忌々しい相手だが、下手な刺激は避け、むしろ相手の利にも配慮する必要がある。

だから、急を要する岩手社の救済法はもっと主体的に、音頭が取られた状態で行われるようにしたい。
ホームページの読み手の反応を知り、実際の行動に移すほどに前向きな相手には、適時に必要な情報を提供していけるようにする。
そのためには、技術のすべてをサイトに掲載するのではなく、どのくらいの熱意と技術力を持つ相手かの見極めが為されるような仕掛けをしておきたい。

(実際、冷やかしで連絡してくるような、いかがわしい業者も多いことだろう)
無名の悲しさである。岩手社程度の規模では、格下と考えて横柄に接触してくる相手は確実にいると見なければならない。
しかし、それらの対応に振り回されるようでは、なんのための救済策かわからなくなる。
つまり、ホームページはたくさんの人に読んでほしいが、それを見て連絡してくる相手の数と質は、徹底的に絞り込みたいのだ。

(そんなわがままな作り方ができるだろうか?)
広告代理店に頼めば、ある程度までそのニーズに対応できるノウハウを持っているに違いない。
だが、広告代理店を利用する企業や商店が「ある程度、有料顧客の絞り込みができるサイトが欲しい」といっても、本質的に「できるだけ多くのお客さんを得たい」というニーズが底辺に存在する。
今回開設するホームページのミッションはそれとは全く違うので、結局は独自アイデアを入れながらサイトを作成する必要があるだろう。

当然、試行錯誤が必要だと思うが、岩手社のメンバーはいずれもパソコンには詳しくない。サイトの作成に対しても関心がないので、【法人】の誘導無しで実行するのは極めて困難だ。
しかし、あなたが岩手県株式会社という【法人】に会えるのは、おそらくこれが最初で最後だろう。
状況を見て次の手を考えるといった継続的なフォローはできないため、答えはこの一回の面談で出し切らねばならない。

できるならば行動療法系のカウンセリングのように、『契約』で複数回の面談を約束したいところだが、あなたの仕事はそういう性質のものではないし、相手は「人」ではあるが「人間」とは言えない存在なので、そういった常識的な手法は通用しない。

今、こうしている間にも、オヤジさん達は圧倒されるほどの注文数をこなすため、休みなく手を動かし続けている。
こんな状態でもオヤジさんは、「製品に罪はない」とばかりに、丹念に一つひとつ作り続けているのだろう。将来、嫁に出す娘を手塩にかけて育てる父のように。

急に割り込んできてワガモノ顔で、他のお客さんの仕事にかける労力を奪い取って拡張を続け、岩手社の命脈を奪わんとしている『ビールの指輪』が、あなたにはガン細胞のようにすら思えてきた。

(『下町の名工』を何とか救わなければならない)
解決策を求めて、あなたの思考はさらに深部へ入り込んでいく。