▲▲社のケース(1)vol.048

【法人】は、当然のようにあなたの前に現れた。
そして、あなたも当然、彼の言ったことなど信じてはいない。
人間の姿をした【法人】など冗談にすぎない。この男はただの人間だ。何もかも普通に見える。

しかし、あなたに迷いはない。
この男が何者であろうが、相談者に対して手相鑑定を行うと決めている。
カウンセリングだろうが占いだろうが、はたまた霊視だろうがマッサージだろうが、手段はあなたに委ねられているのだ。結果を出せばよい。

短いあいさつだけして椅子を示し、テーブルをはさんであなたも腰を下ろした。
話し出そうとする相手を制して、あなたは両手を広げて目の前に置くよう指示した。
男はちょっと戸惑ったように、両方の手のひらとあなたの顔を見比べ、そのままの姿勢でいる。
こんなところも、ごく普通の人間の反応だ。

あなたは、もう一度手のひらを見せるように言い、ゆっくりと下ろされた両手の上に、上半身を傾けてのぞき込んだ。

▲▲社は、長年にわたって産官学を支えてきた企業と言っていい。
社食や売店などの職員用施設に卸す商品や、社員向け通販など、企業や官庁が職員に対して用意する福利厚生の重要な一角を担ってきた。
「働く場所に家庭のアイテムを」というコンセプトに沿った商品展開を心がけ、事業を成長させ続けている。
「職場と家庭は別のもの」と考える大多数の層をあえて切り捨てたことが、先代社長の最大の経営決断であり、成功要因だった。
高度成長期のさなか、家庭を顧みない猛烈サラリーマン全盛の時代にその試みは大きな賭けだったが、そんな中でひそやかに息づき始めていた次代の顧客たちは、▲▲社に熱いまなざしを向けていた。

そして、景気低迷・非正規雇用増加・女性の社会進出を主なきっかけとして、それまでの価値観は大きな転換期を迎えた。
兆しにすぎなかった概念が「ライフワークバランス」という言葉に象徴されて市民権を得るまでの間、その価値観の先覚者たちの中には、報われない独自路線で孤軍奮闘する▲▲社の理念に自らを重ね合わせ、自らの励みにする人達がいた。
彼らにとって▲▲社は「共に“絶対強者”に立ち向かう戦友」であり、いずれ何かの形で力になりたいと思い焦がれる存在だった。

その潜在的な力は▲▲社の誰もが予想しなかったほど強く、小中高、大学など学校に対して事業展開した際、父兄から圧倒的な支持を得て、生徒であるその子供たちとの縁が深まった。
そして、卒業生が社会人になり、やがて勤め先でそれなりの発言力を持った時、自社の福利厚生の担い手として▲▲社を参入させる例が増えてきた。

昔に比べて企業のライフサイクルが短くなると、学校を卒業した子供たちが会社で影響力を持つまでのスパンは全体的に早くなり、そのことは▲▲社の参入までの期間短縮につながる。
そんな事情で、発足当初と比べると業績アップのスピードは格段に早くなった。

こうして事業が安定していくと、ようやく価値観の転換に気づいて後追いする企業も増えてきたが、その中で▲▲社は先駆者の利益を十分に享受した。
少子化で学校が減ってマーケットが狭まるほど、シェアは相対的に広がり、そこで縁ができた子供たちが大人になった時にもう一度新たな関係が始まる事業モデルが確立した。
下世話な言葉でいえば「1粒で2度おいしい」のだ。

未上場の会社だが、それだけに独特の古き良き時代の空気を残した優良企業だとあなたは思っていた。

最近、ホームページに簡易な損益計算書と貸借対照表と、主な特徴に関するコメントが掲載されるようになって、元経理マンでもあるあなたは当然それにも目を通していた。

長年かけて築いた仕入先との信頼関係により、官公庁指定の特定商品群の調達に強いことが書かれている。おそらく、入札価格で他社の追随を許さないためと思われるが、回収リスクのない取引相手が多いのが特徴だ。
また、時代の先取りの影響で業績の厳しい時代を経験しただけに、シビアなコスト感覚が功を奏し、実直で手堅い経営が、財務体質の良さを実現している。

それでも景気低迷の長期化が世の中全般の福利厚生予算の減少を招いた影響で、一時期は粗利が取れない厳しい時期が続いていたらしい。

だが、その打開策で手がけた通販事業の軌道が乗ってきたここ数年は、またもや業績が上向いている。
社食や売店を備える企業の多くは、地方拠点を持って全国展開している。社員向け通販は、新規顧客獲得のコストがゼロで済むので、利益が取れやすいことが大きな要因だった。
社食や売店そのものが閉鎖した企業も多かったが、そのマイナスを埋めるほどのインパクトを与え、通販事業は▲▲社の重要な柱になっている。

そして、勢いを盛り返す原動力になった2世の活躍が世代交代のきっかけになったらしく、最近のことだが、先代社長の息子が新社長に着任した。第2創業期を迎えて彼の今後の活躍が期待されているところだった。

▲▲社のケース(2)vol.049

ここまでが、応募書類を作った数週間前に、あなたがネット上で知り得た表面的な情報だ。
「誰でも手に入れることができる」情報。あなたが真っ先に切り捨て、おそらく前任者の多くがそれにすがって失敗してきたであろう、薄っぺらで価値のない情報だ。

いや、これだけでもかなりのことを語れるだろう。
たとえば帝国データバンクでさらに細かな財務情報や経営者の人物像を調べ、さらに日経テレコンで地方紙に掲載された▲▲社の関連記事を集めるなどすれば、そこから一層うがった見方をすることも可能だ。可能だが・・。

その程度の情報は、▲▲社でも収集可能だ。
内部情報はすべて持っているし、それらが取材されてどう世間に発表されたかの外部情報も見ることができる。

ジョハリの窓のうち「Blind Self(自分で気づいていない)」領域を公開情報から導き出せたとしても、それをアドバイスとして提供するには、よほどの実績や知名度でもないと相手が耳を傾けてくれない。一般の失業者には高すぎるハードルだ。

一方、「Hidden Self(隠し事)」の領域へ踏み込んで、相手が明かしたくない事柄をうまく引き出すのも難しい。

だからといって、それらの代わりにあなたが選択した「Unknown Self(自分にも他人にも未知の領域)」へのアプローチが、本当に有効な手段かどうかはわからない。

むしろ、常識で考えれば、最も困難なはずだ。
もしかすると、「薄っぺらで価値のない情報」以下のことを、あなたはやらかしてしまうかもしれない。

目の前に展開するゴチャゴチャした手のひらの線の中から、あなたが考える▲▲社の特徴のうち、比較的無理なく手相に転用できそうな要素を探した。

(2、3個あればよい)
と、あなたは考えている。

要素がそれ以上増えると、トークが進めづらい。
象徴的なものが2つ、できれば3つあると『二の太刀』『三の太刀』まで用意でき、こちらから水を向けた内容に沿って相手が話してくれるので、話をつなぎやすくなる。

こういう場では、相手からとりとめなくしゃべられるのと、相手に響かないまま自分が一方的にしゃべるのとが、鑑定の品質を下げる大きな要因のひとつになる。
それをできるだけ排除するために、キーになるポイントは必須だが、多すぎてもいけない。

手のひらから読み取れる膨大な情報の中から、どれを言葉に起こすかの取捨選択が重要だ。
すべてを言語化していては疲れるばかりだし、仮にそれをやって相手に伝えたとしても、それが相手のニーズではないからだ。

▲▲社のケース(3)vol.050

過去に行ってきた鑑定と全く同じテクニックを使って、あなたは▲▲社という【法人】を自称する男の手を見た。

一瞬で脳裏に焼き付けた全体像の中から大きな特徴だけを捉えて、他はいったん白紙にする。
あとは、相手とのやり取りに応じて、白紙エリアから必要な部分だけを復活させ、ガイドブックとして効果の高い地図を作り上げていく。
その地図は段階的に精製されていくのだが、あなたが見た最初の形はこのようになった。

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▲▲社(左手)
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▲▲社(右手)

そして、あなたが創作した【法人】の手相は個人のものをベースに次のように置き換えた。

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今回の基本線ガイド
 個人 【法人】
生命線 取引線
知能線 製品線
感情線 社員線
運命線 取引先線
太陽線 市場(マーケット)線

運命線は取引先との関係性を表す『取引先線』。
右手のそれは『顧客との関係性』、左手のそれは『仕入先との関係性』と置き換えるのは当初からのプランだったので、そのつもりで見てみると、両手とも運命線に大きな食い違いがある。
右手は35歳を表す地点、左はそれより4年遅く39歳。
▲▲社のホームページに掲載されている会社沿革では、昨年が創業からちょうど35年で、新社長に交代したときだ。
食い違いは「社長交代」にこじつけられる。

(案外、うまくゆくのではないか)
あなたは幸先良いスタートに気を良くした。
どこかの時点で「そろそろ、本当の会社の相談に変えましょう」と、お互い常識をわきまえた大人同士の対話(経営相談)に切り替えようと思うが、それには少しもっともらしい【法人】相手の面談の体を作らなければならないだろう。

(では、社長の交代から仕入先との関係性が変わるまでの4年に何があるのか)

個人を【法人】に置き換えての鑑定という、非常識なことをしているのでなければ、このケースは「現実面の変化を心理的に受け入れて、完全に馴染むまでに4年ほどかかった」という解釈をもとに会話を進めれば、それがピタリと当たったり、当たらなかったとしても、それなりの傾向をつかむことができる。

ちなみに、「当たっている、いない」は依頼者本人の主観であり、それを占い師にどう表現して見せるかは時によって違う。
「スゴイ! 当たった!」とはしゃぐこともあれば、「全然違うけど」と冷たく否定されることもある。

それは、依頼人が占い(又は占い師)へ抱く好悪の感情によって変わるケースが多い。当然、好意的であれば「当たった!」という肯定寄りの反応になる。
また、占い師に好意を抱けなかったとしても、鑑定内容を肯定した方が今の自分にとって都合が良いと判断して、自身に言い聞かせるためにことさらテンションを上げることもあるし、その逆もある。依頼人は実に千差万別だ。

だから、鑑定する側が『当たる、当たらない』にこだわってもあまり意味がない。欲しいのは「真実」ではなく、相手の傾向を知るための「要素」なのだ。

だが、相手が名乗る【法人】という“設定”に話を合わせてトークを展開しなければならないこの局面では、これまでの常識的判断は通用しない。
通用しないはずだが、あなたはあえて、最初の直観に沿って相手に質問してみた。

▲▲社のケース(4)vol.051

こじつけに近いあなたの質問に、相手はハッと驚いた表情を見せた。
いや、表情を見る前に、相手の身体の緊張が、そのまま伝わってきた。
言葉や表情は、こちらの言葉を論理的に理解した後に出てくる二次的な反応だが、筋肉の反射は見せかけを繕う前の一次反応なので、あなたは割と信用している。
それも、意図しない緊張の場合は一層信用度が高い。
そして、意図しない緊張を引き出すのに効果的なのは、そのときあなたの目が相手を見ていないことだ。見られていなければ隠す必要がないので、相手はオープンでナチュラルな反応をする。

手のひらに視線を落したまま、視覚以外の感覚で相手の微細な緊張を感じ取るすべを、あなたは幾多の鑑定経験から身に付けていた。

「得意先の変革に対して、仕入先のそれが追いついていない」というあなたからの質問のうち、相手の緊張は後半の発声に対して生じた。
ということは、十中八九『仕入先』のほうに何かがあるのだろう。
そのことに見当がつきながらも、あなたは相手の言葉を待った。

(このタイプは、誠実で思慮深く、心優しいタイプだ)
と、あなたは習慣的に判断していた。むろん、手を見てそう思った。
本来、しゃべるより聞き上手なはずで、気持ちよくしゃべり続けた相手のほうから「この人、話が上手い」と評価されるタイプだ。そして、「また、話したくなる人」と評判が立つ可能性が高い。
だから、こちらがしゃべってしまうと「いつものパターンの表層的な社交」にレベルダウンし、相手の本音が聞けなくなる可能性がある。しゃべらせなければ実のある鑑定にならないだろう(これも、もちろん個人相手の場合の話だが)。

「なぜ、それがわかるのですか?」
仕入先の変革が追いつかない社内事情を尋ねたあなたに対し、男は当然の質問をした。これが困るのだ。個人相手の鑑定に切り替えて話を進めたらまずいのだろうし、だからと言って【法人】用の鑑定トークはあまりにも荒唐無稽だ。しかし、今はそちらにシフトして話さねばなるまい。

あなたは左右の運命線の食い違いに加えて、生命線が途切れて外側からカバーされている部分を示した。
「取引先線と取引線」という言い方ができないのは当然だが、「運命線と生命線」という言い方も相応しくない。
だから、具体的な表現を避け「主要な2線」という言葉を使った。

主要な2線で右と左といえば、会社運営でいえば多くの場合「売上と仕入」と言う表現がハマる。男はそれで納得した。
何歳という言い方がなぜできるかというと、手相には流年法という計測の仕方があるのだが、その説明は個人でも【法人】でも同じだから苦労はない。

「今後、どうなるかわかりますか?」
男の次なる質問に、あなたははっきりとは答えず、それは解釈次第だが、良い解釈を引っ張り出すための鑑定であるという見解を話し、今何が起きているのかを話すよう促した。

「2代目が就任したときから、それまでの社内改革路線に賛同しない社員が現れてきて、社内が二つに割れているのです」
それは職種間の分裂ではない、とあなたは瞬時に判断した。この男が直面している分裂は世代間のものであるはずだ。
そう断定し、そのままを告げると、男は再び驚いた。「二つに割れた」というキーワードから、世代間ギャップを連想するのは至って普通だが、今のこの局面であまりにはっきりと言い切るあなたが謎めいて見えるのだろう。

「そのとおりです。ネット通販の企画が軌道に乗るまでは、まさに全社一丸だったのがウソのように変わってしまいました。ネット事業の企画者だった現社長が就任した直後も社内は心ひとつといった様子だったのですが…」
興味深い話に、あなたは耳を傾けた。男は先を続けた。

「官庁や学校、企業向けの流通改革に着手してから、古参社員たちが急速に非協力的になっていきました」
ここで思い浮かんだ質問を、あなたはしなかった。
急いで質問して話の腰を折らずとも、必ずこの問題に回帰するはずだ。どんなに遠回りしても、相手はそれについて語るだろう。あなたもきっと、それについて伝えたくなるはずだ。質問を忘れたまま別れた後で後悔することはないだろう。

「ここ最近のことですが、営業部や購買部だけでなく、ずっと中立的だった総務や経理までが、急に亀裂が入り始めました。家族的な雰囲気が特色で、入社後は会社が大好きになる社員が多くて、それが部署間の交流や接客にも相乗効果をもたらしていたのですが、そういった利点が失われて、これまでなかったようなクレームも入るようになりました」

土壌が悪化すれば作物に影響が出る。その影響は作物を食べた人間にも及ぶ。
社員が不安になると会社の生産性は下がる。生産性が下がれば事業の品質が落ちる。
健康の悪化で病気になるのも、顧客からクレームが来るのも、メカニズム的には同じように思う。

これは、話を聞いたあなたの頭にふと浮かんだ他愛ない考えで、すぐに意識から消し去ろうとしたのだが、せっかくだから男に伝えてみた。
いや、「伝える」というより「垂れ流す」ように声に出してみた。

後で気づいたことだが、この瞬間、あなたは本当の意味で、相手の最大のニーズをとらえることに成功していたのである。
【法人】鑑定の真のコツは、そこにあるようだった。
経営のテクニック相談ではなく、【法人】の生き方(生活態度や価値観の持ち方)に焦点を置くのが、真の満足を引き出す最良の手段だったのだ。

しかし今の段階ではそこに気づいていないあなたは、相手の期待値が急速に高まっていることには思いが至らない。淡々と話を聞き続けた。
「先代社長は今も会長として健在ですから、このちぐはぐな社内の空気感を正してくれるかと思ったのですが、どうもうまくいかず、自力での解決は難しいと考え、外部の力に頼ろうと、基幹システムの強化を図ってみました」

▲▲社のケース(5)vol.052

あなたは眉をひそめた。
文脈が一気に変わってしまった気がする。飛ばした話がかなりあるに違いない。
あるいは、飛ばした部分に重要なポイントがあると認識できないからこそ、ドロ沼にはまってしまうのかもしれない。
あなたが特に気になったのが、『最近になって急に世代間亀裂が入り始めた総務と経理』だ。
社内で変革があり、管理部門の事務量が増えただけなら、「人が足りない」と不満を言い始めるのが定番で、その希望が叶わないと「自分たちの要望を上に通せない、役立たずの部門長」と、部下たちの不満が『上司』に集中したり、逆に「自分たちの嘆願を蹴った横暴な経営陣」を共通の仮想敵として部署内の連帯感を増したりする変化はありがちだが、部門内で世代間に亀裂が生じるというのは、なにか別な力が働いている可能性がある。

その推測と「外部の力に頼った」の符号が一致するのではないか。
基幹システムの導入計画が、望まない状態の要因になっているのかもしれない。

かなり深い話になりそうだ。あなたは壁の時計を見た。
通常、このような相談受付の最中に、あからさまに時計を見るという行為はどうかと思うが、ハローワークでは1日単位であなたへフィーを支払う面談を、さらに後日へずらすことはすんなり認めないと思う。
【法人】の側が望んだ形になっても、それはあなたがそう仕向ければできないことではない。
面談引き延ばしの疑いをもたれることは、今後の契約に良くない影響があるだろう。今回で終結させるに越したことはない。

あなたは、男に面談時間の上限を確認した。
「あまり長く、会社を離れるわけにはいかない」という、あいまいな回答が返ってきた。
あくまでも【法人】だからという設定に忠実に、というのだろう。どうにも人を喰った態度だ。
しかし、この『【法人】の相談受付』という茶番に対して、あなたも『手相鑑定』という茶番で経営相談を受け付けているからどっちもどっちだ。だからこそ最初の対面を一方的に5分で切り上げて今日が2度目の対面なのだし。

(それなら、じっくり聴くのはここまでだ)

あとは短期決戦でカタを付ける。今までの話と雰囲気から、質問ポイントは絞られている。
この男は、社内の人間関係に焦点を置いて話そうとしている。今最もつらいと感じているのがそこだからだろう。
そして、あなたに打ち明けて相談し、意見を聞きたいのもそこのはずだ。
だから、どんなきっかけ(フレーズ)に対しても、無意識に話題を人間関係の方面に振り向けてしまう。

話の肝心な部分を飛ばしてしまうのも、彼の一番の関心事が、そこではないからだ。
先ほど、話の腰を折らないようにとあなたが質問を手控えた点についても、「会社の状況説明」をしたいなら質問せずとも相手から話すはずだが、「彼自身の心情の吐露」が目的なら、このまま埋もれてしまう可能性が高い。

ポツポツと話し続ける男の話を聞きながら、あなたは考えをまとめていった。
▲▲社の流通改革と聞いて連想するのは、社業盛り返しの起爆剤となり、今最も重要な事業の柱である通販事業の流通体系を、従来の学校・企業・官庁向けの商品にも適用し、シンプルな管理体制とスケールメリットを活かした強化を図ることだ。
長年続いてきた仕入ベンダとの関係性が崩れることに古参社員が難色を示す一方、その歴史に深く接した経験を持たない若い社員たちは、成長性の高い通販方式を推しているというのが、誰でも考えつきそうな筋書きだ。

本当は、これを相手の口から語らせたかった。
自分だけですべて考えると、自分好みの方向に偏り、事実と離れて行ってしまうことがある。それを防ぐには、時々相手の言葉で軌道修正をするのがコツで、そのための質問を用意していたのだが、結局自分でストーリーを作ってしまった。まあいいだろう。今回に限っては、相手の会社が発表している事実を最初からある程度知っているのだから。

さて、男の話に戻ってみる。
古参社員と若手社員。
どちらのグループも、自分の勤めている会社が好きだから、心底自社のためにと思ってしている。
普通ならベテランの顔を立てて若手は控えめになるところだが、この話に限って言えば、実績がモノをいうところだ。若手が推す通販方式が社の苦境脱出の主役だったことを考えれば、両者は対等だ。
だからこそ、対立が大きな問題を生んでいそうな気がする。

むろん、これらのことは、あなたが男の話を聞きながら頭の中だけで組み立てた想定にすぎない。
しかし、▲▲社を外部から見ているだけでは知りようのない社内事情の一端を聞くだけでも、様々な公開情報とひっかけて、状況把握や助言は圧倒的にやりやすくなる。
あとは、この男が最も気に病んでいる「人間関係」のトピックを足掛かりに話を深め、気持ちを引き付けながら効果のありそうな提案を示せれば、面談はひとまずカタがつきそうだ。

しかし、これだけの情報を持っているということは、やはりこの男は▲▲社の社員のようだ。
話す内容からして事業部の人間ではなさそうで、さっき『総務や経理』と、具体的な管理部門の部署名を挙げながらも、そこに『人事』が含まれなかったことや、人の動きや気持ちの部分を重視することからして、人事部門の人間なのかもしれない。

(・・・)
あなたは複雑な気持ちになった。あなたの希望としては、▲▲社の人事担当とは、こんな形で会いたくはなかった。

(あるいは・・)
これは、形を変えた面接なのかもしれないという観測も、正直捨てがたい。
あなたは2週間後に、この面談の報酬として約8万円をハローワークから受け取ることになるが、それで▲▲社との縁は切れてしまう。
この男はきっと、あなたの素性を知っている。あなたの応募書類を最近見ているはずだ。それを承知であなたにこの話をしているに違いない。

(もうそろそろ、個人同士の会話に改めて、入社を希望しているという話ができないだろうか)
腹の底でそんな声が聞こえ始めている。
上手い解決策と実行力の片鱗を示すことに成功すれば、プロジェクト要員としてのオファーが得られるかもしれない。
最初はそんな形でもいい。プロジェクトベースの採用だと有期契約になるかもしれないが、あなたは雑多な就労経験を通ってきただけに、割と順応性が高い。▲▲社のカルチャーにもすぐに適応し、固定メンバーとして現場から認められるようになることには自信があった。

(が、その前に・・)
あなたには、その前にもうひとつ引っかかっていることがある。聞き捨てならない先ほどのセリフだ。
「外部の力を導入しようと、基幹システムの強化を図りました」というものだ。
これについて触れないわけにはいかなかった。絶対に譲れないあなたのポリシーだ。

▲▲社のケース(6)vol.053

実際に話を聞いてみると、ほぼあなたが想像したとおりのプランで、流通改革は実施されていた。
要するに、後発の通販事業のように、いったん▲▲社で集荷し、自社内に物流センター機能を持たせたいということだ。

新流通体制
新流通体制

従来の方式だと、配送のコントロール一切がベンダ任せとなるので、正確な納期の把握に非常な手間ヒマを要するうえ、追加やキャンセルの依頼が▲▲社の頭越しに行われてしまうことも多い。
それらが上手く伝達されずに顧客対応がチグハグになるケースがよく見られ、その対応策はベテランの勘で未然に防止するか、クレームの対応に現場へ出掛けて行って、そこからベンダの指揮を取って何とか対処するというスタイルだった。

従前の流通体制
従前の流通体制

2代目社長が流通改革を思いついたのは、自社の営業事務部門の人件費割合の大きさに気づいたからだった。
この体制で商品を取り扱っていては、業務量に比例して人数を増やさねばならないし、ベテランの名人芸で成り立っているから年配者が固まって存在し、給与水準も高い。彼らが毎晩遅くまで働く残業代もかなりの額にのぼっている。

社内に2つできてしまった流通ルートを放置せず、少人数で通販事業を軌道に乗せた方式を、従来事業にも適用しようとしたのは当然といえる。
倉庫スペースの増大に追加投資が必要になるが、回収スパンは短いと読んだ。それに、物流センター機能の保有は▲▲社の今後の展開を、一層手厚いものにするだろう。

しかし、新社長が考慮しなかった重要なポイントがあった。
仕入ベンダの多くは、苦節の頃の▲▲社と助け合いながら、顧客たちとも長い付き合いを続けている。注文商品を納めるだけの関係とはいえ、長く接しているうちに独自の関係性が生まれていた。

官庁や学校と付き合ったことをきっかけに、国家や地域社会レベルでものを考える社長や社員が、▲▲社の仕入ベンダの中に生まれており、顧客たちが事業として実施している各地の教育や文化的交流に協力するボランティアサークルなども作られていった。
そういった活動が定着してくると、社会に対して広く目が開かれた社風にあこがれて優秀な社員が集まる。
入社後すぐにそれらの活動へ参加できるので、「看板に偽りなし」と自社を信頼でき、働き甲斐の提供にも役立つ大切な要素になっていた。

それらすべてが、新社長の方針によって、断たれないまでも大幅に弱められてしまうことになった。
なぜなら、ボランティアなどの定例会は各ベンダ間で調整した納期に基づいて計画され、顧客との接触を保っているからだ。
普段の業務から派生したカタチであることが、これらの2次的活動に入る障壁を低くしていたのだが、それ無しでは、せっかく「有志」を中心に増やしてきたメンバーが減り、力を失ってしまう。

その影響が売上に跳ね返ってしまっている業者は共通の悩みを抱えはじめ、密に連絡を取って、打開策のために協力し合っている。
そんな事情で、ベンダ間の結束は▲▲社の新社長が思っているよりはるかに強かったのだ。

これらも、先代社長が残した一種のインフラだったが、後継者は効率重視で新しいスタイルを押し進めようとしたのだ。
▲▲社とは手を切るというベンダがあると、代替業者の開拓を進めた。また、そのベンダからの商品を使い続けてきた顧客たちには、新たなラインナップで営業をかけた。

こういうことは、ビジネスではありがちなことと頭では理解していても、ちょっとしたきっかけで感情論にも発展しやすい。
他のベンダたちから、「あの会社は報復による締め出しを食らった」と受け取られてしまうと、一体感で出来上がっていた▲▲社との関係性にも陰りが生じてくる。
従わないと自分たちも締め出しをくらって長年の取引先を失うという恐怖の支配体制に怯えるベンダが増えた。

危機を感じた彼らは古参社員に助けを求め、その訴えを取り次いだ古参社員たちは、にべもなくそれを蹴った2代目に対し、気持ちが離れていくという状況だった。

先代社長からは従来ベンダとの関係維持を匂わす発言があったが、両者の間に直接的な話し合いは持たれず、取締役会などの幹部会議では、増収増益の実績を力強く語る2代目社長の姿が、やや浮いた印象で記憶された。
彼を推す若手社員たちは、幹部会議には出席できないからだ。

こうした話も、聞いてみれば際立った特徴のない世代交代の時の姿だ。あなたにとっては自分が仮定した筋書きの確認をしているにすぎない。
あなたの関心は、「この事態を解決する基幹システム強化」とは、誰がどんなことをしているのか、だった。

▲▲社のケース(7)vol.054

「新社長の狙いは、旧来色の払拭です」

男はあなたにそう告げた。
さえぎって基幹システムのことを聞こうと思ったが、仮にも相手は相談に来た客だと思い、それはやめた。それに、経営トップの知られざる情報を教えてくれるらしい。あなたはもう少し黙っていることに決めた。

新社長は大学卒業後すぐに、父が経営する▲▲社に入社し、今日を迎えている。
父親をはじめ、多くの古参社員たちから様々な手ほどきを受けて成長し、骨の髄まで従来の社風が染みついているはずなのに、社内のどこにもなかった新体系のビジネスを着想し、通販事業という形にしおおせているところから察すると、いわゆる「ぬるま湯に浸ってしまう」タイプではないのだろう。

「新社長が目指すのはあくまでも新しい体制での事業展開で、古参社員の活躍をスポイルすることは考えていません」
男はそういうが、あなたには信じられない。

すべての事業を通販と同じく新流通体制に一本化したら、古参社員は通販事業の一線ですでに活躍中の若手たちの後塵を拝することになる。
そして、パソコンを使ったオペレーション重視になればなるほど、眼の壮健さや指先の動作など肉体的な若さがものをいう。そんな条件下では、ベテランほどランクが下になってしまうことが想定される。
新体制の人数は不足しているそうだが、欲しいのは経験豊富で扱いづらい先輩ではなく、これから育てていく若者であると見るのが一般的な見解だ。

ところが男はそうではないと言う。
「新社長の一番の勘違いは『長い間同じ釜の飯を食い、駆け出しの頃からのオレのすべてを知っている兄貴分たちは、当然オレの気持ちを理解している』と思い込んでいることです」

(もしも若いころの新社長が、経営者の息子だからということで『気遣いが足りなくても叱られることのない若手』のような特別扱いを受けていたなら、そんな勘違いはあるかもしれない)

一線を踏み越えて相手を追いつめてしまい、無理をさせたり傷つけてしまっていてもその実感が無く、「自分は気遣いをしている」という思い込みだけで突っ走る例のアレだ。

(家族的な会社ほどありそうな話だ)
実害が無ければそれで良いと思うし、そもそも▲▲社とは、歴史的に取引先とも『同志』的な関係を築いてきているので、社内がそんな具合でも会社のカラーとしては違和感がない。
むしろ、無機質でシステマチックなビジネスばかりが展開する中で、古き良き時代のにおいを持つ『地元の個人商店』みたいな会社は、どこか安らぎを感じさせてくれる貴重な存在ではないだろうか。

目の前の男の悩みがどうであれ、あなたは新社長の判断に悪い印象を感じない。
そんなドタバタな『お家騒動』も、長い歴史の途上では起きるだろう。それを乗り越えてこそ、本当の意味で企業は成長してくのだと思う。

のほほんとしたあなたの内心を知るすべもなく、男は熱心に話し続ける。
「今や新社長と古参社員の間に入った亀裂は深刻な状態です。とうとう新社長の意思は、若手を中心に据えて企業力をアップさせるしかないということに傾きかけています」

(おやおや。これは本当にお家騒動だ)
次に古参社員たちが先代社長をかつぎ出せば、対立構造の準備は完了といったところか。
もしあなたが予定通り▲▲社の面接を受けて内定をもらい、何も知らずに入社したら、一体どちら派に属していただろう。ひょっとすると負け側について、入社早々居場所がなくなって退職するハメになったかもしれない。

「実はまだ極秘ですが、早期退職者募集の告知が計画されています」
(『古き良き時代のにおい』、風前の灯火か。新社長はずいぶんドラスチックだな)
おそらく、古参社員の踏ん張りが無くなると、『古き良き仕入ベンダたち』も▲▲社の歴史において過去の遺物になっていくだろう。
仮に取引が続いたとしても、もはや往年の特色はなく、ベンダの多様性は失われてしまわざるを得ない。

あなたは、
(もったいないな)と何気なく思ったが、
(展開が早すぎる)とも思った。
そこまで急がなければならないほど、経営状態が悪いわけでもない。

それに、あなたの前にいるこの男は、社長から見た古参社員たちの呼び方を『兄貴分』と表現した。
この男が何者かは不明だが、社長になり代わった表現として、古参社員たちを『兄貴』と呼ぶような好意的な信頼関係が、両者の間にはあるのだろう。なぜ、そんなに不満分子の一掃を狙うのか。

あなたはここで唐突に、総務と経理で世代間に亀裂が生じたのはなぜかと問いかけた。
もうそろそろグイッと話題を引き寄せてもよいと判断したためだが、もう一つ重要なのは、この男の情報力が高いという値踏みが済んだせいだ。

思い込みで感情論に走るタイプや、独善的で公平性に欠けるタイプに対しては、下手に質問を深めると事実からかけ離れてしまう危険がある。
あと、単なるウワサ好きで、好奇心と憶測に振り回されて、誤った情報をまくしたてるタイプにも要注意だ。
しかし、この男はそのいずれにも当てはまらない。

▲▲社のケース(8)vol.055

あなたが当初から気になっていたふたつの事柄。
つまり、【管理部門内にも世代間亀裂が波及】と【この問題の解決に基幹システムがどう絡むのか】は、やはり直接的な関係があった。

「システム会社の営業担当者と技術担当者は、こちらの状況にとても理解を示してくれました。・・まあ、売り込みに来ているわけですから当然と言えばそれまでですが」
と男は言い、その内情を詳しく語った。

通販事業が軌道に乗り出したころから、社内の売上計上処理が増加し、旧体制の複雑さの弊害が際立ってきた。
仕入ベンダから顧客へ納品完了した連絡があるまで売上を立てられない旧体制と、自社倉庫から出荷する時点で顧客に納品請求書を発送できる新体制が並立するようになったからだ。

旧売上計上
従来の売上計上
新売上計上
新体制の売上計上

業務量増大と事務の煩雑さに音を上げた経理部門の要請で▲▲社にやってきたシステム会社は、新旧双方のオペレーションに対応するために、まずはベースになるシステムを構築し、その後は新社長の方針に従い、旧体制を終息させるカスタマイズを提案した。
ベースの設計から完成で8千万円、カスタマイズで2千万円、トータル1億円の見込みだった。

さすがに新社長もこの提案には乗り気ではなかった。増収増益を力強く語ってはいるが、それだけのキャッシュが飛んで行ってしまうとなればこれは容易ではない。
倉庫の確保に多額の投資を予定している状況で、システム構築にそんな支出は現実的でないという判断だ。

「そんなわけで、いったんは断りました」
あなたはそれを聞いて力強くうなずいた。

(時期尚早だ)
システム導入の話が進み始めたのは、経理部門が騒ぎ出したことがきっかけというではないか。
つまりは予想外の変化に対応しようというドロナワ的事情だ。今後のオペレーションの変化が読めない状況で、自社の展開を考え合わせながら開発することが求められている。夢物語もいいところだ。

なぜなら、いったん始めた開発は止められないからだ。
システム会社の人員確保などの制約もあり、「いったん立ち止まって考えたい」という自社の都合で凍結させておくわけにはいかない。
日常業務は決して止めず、常に走りながら考えるという無茶をやって、それでいて高いクオリティが要求される。
各担当者は、次々に火のついた眼前の実務をこなしながら、同時に全体を俯瞰して未来の形を創造しないと、本当に役立つシステムはまずできない。
が、そこまで準備できている会社など皆無といっていい。

それに、経理部門だけが騒いでいる、ということは、全社的な大変革なのに、自分を『当事者』と考えている人間が少なすぎる点も致命的だ。
営業などの事業部門は「システムのことだから本部に任せる」とばかりに、要件を詰めていく肝心な段階では参加せず、話がまとまってきたところで各論的なイチャモンを付けて開発を混乱させるのが関の山だ。

「でも、システム会社がしてきた次の提案で、新社長は心を動かされたようです」
(フム?)

【事業フェーズに応じたカスタマイズプロジェクト】
 主なラインナップ
 ・商品とベンダの段階的変更を見越したデュアル製品マスタ
 ・「配送ルートシミュレーションツール」実装の原価計算システム

「彼らは、『このプロジェクトを行うにあたっては、弊社の開発チームリーダーと主要メンバーを固定して、継続的に末永く尽力したい』と、ウチの歴史になぞらえて、新社長を中心とした若手社員たちと新たな仕入ベンダ、そして自分たちシステム会社の関係を強固にし、共に第二創業期を歩みたいというプレゼンをしてきました」

(先代が築いてきた『関係者との信頼関係』という財産を、2代目にも自前で築かせようと誘導したか)
自立心の強い新社長には最も刺激的な誘いと言えるだろう。それに、今の社内での彼の“苦境”を支えてくれる若手社員たちに報いてやりたいという一体感もあったはずだ。

(強力な仮想敵に対して強い結束を持つのが、この会社の文化だからか)
すでに▲▲社は業界のカテゴリトップの地位を築き、『強者』と呼べる存在になっている部分もある。
父の血を色濃く継ぐ新社長は、既存の在り方に挑戦する方へ傾いてしまったのかもしれない。

元来中立的だった管理部門内にも亀裂が生じたのは、システム会社の営業戦術である「第二創業期」というフレーズの連呼が浸透してきたころからだという。
新社長にとっては、社の内外から神輿を担がれて、血が騒いできたという側面もあったに違いない。

「兄貴分の古参社員たちには、後進に道を譲ってもらって、今後はより広い視野で顧客と仕入ベンダを開拓してもらいたいというのが新社長の考えです」
▲▲社の歴史そのものと言える彼らは、その経歴を活かして、若手では到底及ばない新たな関係性を自社にもたらすはずだと、男は新社長の意思をあなたに主張した。

「つまり、若手にとっての『目の上のタンコブ』というような所へは配置せず、処遇もアップさせて大きな仕事をさせたいと考えていたのですが、このままでは一体何人が残ってくれることか・・」

あなたはギョッとした。この男の今の言い方、まるで自分がその権限を持っているかのようだ。
(まさか、この男が新社長か?)
ホームページの顔写真は小さかったから、あなたは細部まで覚えていない。
(こんな顔だったか?)
しかし、「あなたが社長ですか?」とは今さら聞きづらい。もともと、そんなことはどうでもよいという考えで、【法人】の手相鑑定などという茶番を進めてきたのだ。

あなたは思い直した。
(逆に、社長から相談を受けているのなら、本当に伝えたいことを、伝えたい相手にぶつけられて好都合だ)

▲▲社のケース(9)vol.056

あなたは遠慮なく言った。
・開発費用8千万は希望的観測。1億4、5千万は覚悟すること
・段階的カスタマイズは2千万では到底収まらない。『デュアル製品マスタ』などと聞こえの良いネーミングをしているが、現場を知らない開発者や、他人が登録したマスタ情報を使っているだけの経理担当者が想像するような、『規則的なマスタ登録』など及びもつかぬ想定外の事象が次々と沸き起こるはず
・想定外の事象への対処のために、システム会社の工数が際限なく膨れ上がって金額がかさむので、開発は途中で強引にストップがかかることになる
・途中でのストップにより必要条件が満たされず、プロジェクトには落第点がつく。▲▲社のシステム開発プロジェクト責任者は保身のため、「後は保守の範囲で何とか対応する」というシステム会社の発言に、救われたようにOKを出し、何が何でもその案で社内稟議を通してしまう
・しかし、『保守の範囲』でしてくれることなどタカが知れている。現場は『改編/改良』を求めて悲鳴を上げているので、結果的にその声は無視することになる
・システムでカバーできるはずだった業務オペレーションが、所々『歯抜け』になり、現場がアドリブでカバーするので属人化が進み、共有化に障害をもたらすだけでなく、教育制度が整わない
・教育制度が無い組織は、よほど根性のある人でないと務まらないので人材が居つかず、流動性が高くなること

まあ結局、「大金を投じて社員を疲弊させたうえ、利益を垂れ流す源泉を作るような投資をしようとしている」ということを、あなたは一気にしゃべった。具体的金額は感覚的に言ったものだが、実際にそうなるだろうという確かな予感があった。

最も重要な点は、新旧社長の方針の違いについて、二人が十分に意見を交わさないために起きた現場の混乱は、基幹システムでは解決できないということだ。
一見すると、経理作業、仕入管理、配送手法など、問題点は個々に発生する別物に見えるが、それぞれを対症療法でつぶしにかかると、中枢神経系で制御不能な肥大などの変異を起こして重症化する。

基幹システムやシステム会社のコンサルティング等、外部条件はアイテムのひとつにすぎず、この場合必須ではない。自力で問題解決へ向き合う準備ができてから採り入れるのが最も効果が高い。

ほぼ一方的にしゃべり続けるあなたに対し、男は一切口をはさまず、熱の入った目でまっすぐに見つめている。
どこか吹っ切れたのかもしれない。表情が明るかったのがやけに印象に残った。

「そういうものかもしれませんね」
そう一言つぶやくと、何かを思案する顔になった。
(父子が話し合う場のセッティングでも考え始めたか)
あなたはそんな風に考えた。が、
(それにしてもこの男はいったい何者なのだ)
新旧社長、いや、父と息子の腹を割った会見の場所を準備するなど、ただの社員ではできないだろうから、思案の内容はそんなことではあるまい。

「特に、古参社員の扱いについては、親子で徹底的に意見をぶつけ合わせる方が良いでしょう」
今度はあなたが、この男の顔をじっとうかがう番だ。
(やはり、新社長だったか。いや、▲▲社が契約しているコンサルタントか?)
そうなると、今のこの状況は妙な気がする。あなたはコンサルタントのスーパーバイズをしていることになるからだ。
その道のプロが未経験のあなたをスーパーバイザーにするだろうか。
いや、▲▲社が契約コンサルタントに対し、そんなプライドを傷つけるようなことを要求するだろうか。

次々と頭をよぎる疑問に内心当惑するあなたに対し、今まで見せたことのない打ち解けた表情で、男は言った。
「仕入先との関係性は、この後どうなるのですか?」
再びあなたに両方の手のひらを示した。

sankakuleft
▲▲社(左手)
sankakuright
▲▲社(右手)

(誠実をモットーにすべし)
▲▲社という会社は、それに尽きるのだ。いかなる状況に立ち至っても、「戦友」のために尽くす姿勢が顧客を作ってきた。それは左手の太陽線が如実に物語っている。外側からカーブしながら薬指に向かうこのタイプは、実行力に基づく誠意で人心を得て成功する証のようなものだ。
むろんそれは、今あなたの前に座っているこの男がそういう人間なだけであって、▲▲社とは関係ない。
そうは言えないが、当然この男だってわかっていることだ。

▲▲社のケース(終)vol.057

(鑑定は茶番とはいえ、実際に役立ちそうな提案を、ひとつくらいしなくては)
ちょうどいいことに、先ほどの話の中で、仕入ベンダの中には、官公庁の事業に協力するボランティア活動を行っているところがあると聞いた。

あなたはCSRの理屈を持ち出した。
(システム開発費用として考えていた金額の、ほんの数パーセントでかまわない。それら団体への寄付をすればよい)
一瞬そう思ったが、待てよ、と思った。
(仕入ベンダと関係の深い古参社員の中に、そのボランティアに関心を持っていたり、実際に携わっている人が居るかもしれない)
特に、自分の子供たちと一緒に参加したいと考えている社員は居そうだ。
日ごろ仕事で忙しくて子供との時間を作れないだけが、『業務の一部』として機会を作ってやれば参加しやすくなるだろう。つまり、仕入ベンダたちが納品時期を申し合わせてボランティアの集合日を設定したように。

(実は、『ボランティア活動への障壁』が最も高いのは、▲▲社ではないのか)
基幹システムに高いお金をかけるよりも、そういった社員たちのケアに使って、これまでとは違った角度で仕入ベンダたちとの関係性を作り、連携方法を開拓すればよい。
売上計上の処理に手間がかかるのは、経理担当者だけに負担を押し付けていたからで、経営者が音頭を取って営業担当者を取り込み、一貫したオペレーション体制を築いたうえで、それをシステムに乗せればよいのだ。
システム会社を呼ぶのはそうなってからでよい。

ボランティア活動を行う社員たちへの助成費用が、この場合は公的機関への協力の意味合いを持つから、企業としてはCSR活動という名目が立つ。仕入ベンダたちとのよき関係を続けていく限り、継続的な取り組みとして広報活動に活かせるだろう。
遅まきながら、仕入ベンダたちが既に実践している「社会活動に活発な企業」に、▲▲社も仲間入りができるのではないか。

「ありがとうございます。それも試みてみます」
頭を下げた男に対し、仕入の改革は今後数年でかたちが整う、とあなたは告げた。

この男が仮に新社長だとして、今あなたが話したことが伝言ゲームにならず、すべて実行に移されたとしても、『父親との葛藤解消』『基幹システム導入中止』『CSR活動開始』『古参社員との和解、及び彼らの家族関係援助』『新体制の強化と業務オペレーション軽量化』を同時並行で短期間に実行するのはあまりにも困難だ。
(「数年」と、そこまで言い切ってよいものか)
とは思うが、それを言い切るのが占いというものだ(あくまでも、個人相手なら)。
あなたの頭には、「これはあくまでも【法人】鑑定という設定だ」という、どうしようもなく釈然としないシコリが残る。
(この男自身のために言ってやりたい)
だが、そういうわけにいかない分だけ、あなたの言葉には熱意が加わっていた。そのことには自分でも気づいている。罪悪感の裏返しだ。

「ありがとうございました」
男はもう一度礼を言い、今度は深々頭を下げ、あとはハローワークに報告しますと告げた。
あなたは最後の挨拶をし、ハローワーク地下4階の秘密部屋みたいな面談室を後にした。先に退出するのが約束事だったからだ。

(あの男は、こちらが建物を出たことを確認した担当官から連絡を受けるまで、地上には上がってこないというわけか)
今後あなたが▲▲社を訪ねてみれば、もう一度会ってしまうかもしれないのだから、そこまで大げさに引き離す必要もないと思うが、そういう儀式的な体面が必要なのだろう。役所の保守的な持ち味のひとつだ。

あなたはエレベーターで1階へ戻り、ハローワークの建物を出た。
それと同時に、明日をも知れぬ不安な現実に引き戻された。
数日後、今日の面談の評価測定の結果を受けて、あなたに連絡が入るまでは、眠れぬ夜が続きそうだ。
まず、約8万円の収入が得られるが、今後継続するかどうかは不明。そして、継続したとしても収入は極めて低空飛行なのだ。おまけに就職活動もできない。

ため息とともに、どっと疲れが出てきた。面談はやはり相当なプレッシャーの中で行われたのだ。
今日は料理を作る気力もない。オリジンの安い惣菜とおにぎりで済ますか、スーパーの惣菜が値下げされるまで待つか、あなたの思案はむなしい堂々巡りを始めた。