宮城県株式会社のケース(5)vol.116

大きすぎる悪は、悪ではない、という言葉がある。人の持ち物を奪えば罪を問われるが、国を奪えば英雄とか君主と呼ばれる。

つまり、頂点まで行きついてしまうと、やることなすこと常識の物差しでは測れないようになってくる。

当初は、会社を買い取った本人が経営者になって乗り込んでくる、というので社員たちは緊張した。

側近を引き連れてやってきた新経営者が社内を蹂躙し、取り巻きだけがいい思いをし、既存社員は搾取されるだけになるかと警戒したが、そんなことは一切なかった。

新社長は小さな私利私欲とは無縁だった。

小金を手元に残すためのグレーな節税などには一切手を染めず、側近をつなぎとめるためだけのような、いやらしい便宜の図り方も全く行わない。

経費の支出についてもクリーンを貫き、例を挙げれば、たまたま出張先と同じ都市で開催される財界のパーティーへ夫人を伴って参加する場合など、夫人の交通費や宿泊代を会社の経費では落とさせなかった。

宮城社は未上場だから、社長の経費使用の自由度はかなり高かったのだが、そういった点は清廉を極めた。
投資家から見て信用のおけない経営者像に自分を重ねることを、よしとしなかったのだろう。

そして、投資家から見て能力のない経営者像に自分が重なってしまうこともまた、彼の望まぬことだった。

利益確保は絶対のものであり、至上課題だった。
しかも、長期的視点がそこに加わる。彼はデイトレーダーではなく、数代続く投資家家系の人間であるため、企業価値を長い目で見て判断することは、呼吸するのと同じように自然なことだったのだ。

(これもまた、面白い要素だ)
あなたは興味をひかれた。

経営学の教科書的な、極めて優等生的な、まるでMBAの講義の中でしかありえないような企業の姿が展開されるのだろうか。

「新社長は、継続的に高い投資効率を上げ得る安定的体制を築くため、いくつかの要素を加えました」

(まさか、この会社もシステム会社の攻勢を受けたか?)
あなたは一瞬そう思ったが、『高い投資効率』ということばに多少の違和感をおぼえた。

優等生企業になりたいなら現在価値の高いビジネスへの着手という観点から、普通は収益と費用の構造を考え、高い粗利を取れる製品の確保や、薄利多売で徹底した高ノルマ/低コストを画策する方向へ進むはずだ。

その実現に向け基幹システムの導入(又は入れ替え)が行われたのかと反射的に考えたが、それとは尺度が違うように感じられた。

《続く》

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