岩手県株式会社のケース(3)

ビジネスが予想以上に急成長したときに起きる代表的な問題は「品質低下」だ。
これは、製品の品質である場合もあるし、事務品質の場合もある。
それから見落としがちなのが、自社は何とかしのげても、外注先や提携企業がパンクしてしまうことだ。他社の内情までは詳しく知らないから、そんなに切羽詰まっている状況が把握できず、急に納期が遅れだしたり、ミスの連発が起きて何事かと追及したら、「そんなオーダー数に応じられる能力はない」と打ち明けられることがある。

事業を始めたばかりの無名企業と組んでくれるのは、地元で同じように小さく事業を営む会社であることが多い。
釣り合いの取れる規模のうちは良いが、片方が急成長を始めると、もう片方がそれについていけなくなる。
ビア社の場合、急成長による自社内の品質低下は、親会社からの資金援助が早々になされただけでなく、親会社と同じビルのフロア内にいるので、勝手知ったるアミ社の社員が応援要員として駆け付けるなどの手厚い保護が為されたことで随分回避された。

しかし、指輪の心臓部を託された岩手県株式会社は、単独で事業を営む地元の小さな町工場にすぎない。熟練工の社長(オヤジ)と二人の息子のほかは、事務の女性をひとり雇っているだけの陣容だ。
当初ビア社の事業部長は「ひと月に5個も作れればいい」という見込みでこの話を打診してきた。
「いいよ。そのくらいなら」と、オヤジが引き受けて始まった。

ところが、たった4か月後には注文数が「ひと月に300個」になった。
工場では他の仕事も受注している。それらも手掛けながらだと、休みなく働いても月に15個が限度だった。
前月に78個の注文を受けたことに驚きながらも「断る口数より、やった方が早い」とだけ言って淡々と仕事をしてきたオヤジですら、これにはさすがに音をあげた。

オヤジだけが持っている“感覚”が、スタビライザーを実現させる。息子たちにはできない。オヤジが担当している他のことをどれだけ息子が引き受けても、絶対的に時間不足だ。
それに、職人の仕事には長年の経験で自然に身についた理想的なリズムがある。前後の作業をすべて人任せにすると、肝心な部分の精製が上手くいかない。
単なる計算で効率を追求しても、この場合は解決策にならないに違いない。

(さすがに、今回の話にはシステム会社は出てこないだろう)
あなたは、【法人】の話から、この問題に対するアプローチの困難さを思った。組織としての絶対的な限界というだけなら、インフラを充実させて(その資金があればだが)対処する道はあるが、この場合はオヤジさんの時間と体力だけが頼りで、完全に一個人に依存している。オヤジさんが体を壊したら指輪のクオリティは維持できず、ビア社の事業も、アミ社の目論見も崩壊する。

アミ社は株式上場企業なので、当然株価への影響を考えて、何が何でもビア社の事業を継続させたいはずだ。岩手社社長の時間のやりくりや体調などは当然ながら眼中になく、子会社であるビア社に厳命を下し、その威を恐れるビア社は岩手社に対してひたすらハッパをかけ続けてしまうだろう。

(オヤジさんが心配だ)
オヤジは54歳。二十歳で独立してから34年にわたって、職人として地道にこの小さな工場を営んできた。
「工場が火事場のような騒ぎになっているとき、システム会社が来まして・・」
(来たんかい!)
【法人】の淡々とした話に、あなたは内心つんのめった。
「生産管理システムの導入を勧めてきました」
(・・・)
「オヤジは『たった4人の工場に、そんな大げさなものがいるか』と追い返しました」
(それはそうだろう)
「その後、何社ものシステム会社が来るようになったので、応対は息子たちに任せるようになりました。オヤジは『ウチの名前はテレビに出てないのに、よく見つけるな、こんな小さな工場を』と呆れていました」
ビジネスだから、それはやはり、鵜の目鷹の目で探し出すのだろう。ビア社やアミ社から聞くことができるだろうし、銀行筋から得られる情報もあるはずだ。当然、銀行も融資の勧誘に来るだろう。

「融資、投資の勧誘のほかに、取材の申し込みや広告掲載の売り込みなども多数来ています。オヤジが息子たちに対応を任せるようになったのは、それらに付き合っていられないからです」
あなたは岩手社に同情した。仕事の邪魔になるほどやってくる訪問者たちのきっかけを作ったビア社やアミ社は、オヤジの仕事への妨害に対して保護などはせず、何とかの一つ覚えのようにハッパをかけて促進させることしかしていないようだからだ。
幸いなのは、気の強いオヤジがビア社の担当者にへつらうことがなく、技術面に出しゃばってくると頭ごなしに叱りつけるだけの気概を持っていることだ。【法人】が言うには、ビア社やアミ社の社長が“陣中見舞い”に来た時ですら、普段と全く変わらない態度で接していたらしい。

「ウチは別に『ビールの指輪』の仕事が無くても、それなりにやっていけるんです。オヤジもそれほどこだわっていません」
そんな気がする。仕掛けが上手く当たり、マスコミの持て囃しに踊るアミ社や、親会社であるアミ社の顔色を窺うビア社とは、たまたま『技術』という接点でつながっているだけであり、同じようにつながっているたくさんの会社の中のひとつにすぎない。